With me,with you.

- Second Step -

Written by Kazuki Takatori





 *

 えっと……ま、味はこんなもんだよな。
 煮ているひじきを、ひとさじすくって味見してみる。
 昔、ばあちゃんから教えてもらった作り方だけど、まあ間違いは無いはずだ。
 ……よしっ。薩摩揚げもほどよく味がしみてる。
 火を止めて、戸棚から一つタッパーを出す。
 まあ、あいつも今大事な時期だし、いっぱい食べて貰わないとな。
 お玉で、ひじきの煮付けをタッパーに移す。
 ここでまだふたをしないで、冷ましておくのがコツなんだっけ。
 これで、おかずは全部揃ったな。
 エプロンを脱いで、俺は椅子に座った。
 週に一回やってるだけでも……まあ、慣れるもんなんだな。
 テーブルでぐでーっと伸びながら、そんなことを思ってみる。
「通い夫さぁん」
 ……このふざけた言い方は……
 俺が首を入り口の方に回すと、妹……優紀がこっちを見てニヤニヤ笑っていた。
「……なんだよ、このお喋り屋が」
 皮肉たっぷり言ってみたけど、優紀は気にしてないようにガスコンロのほうに歩み寄った。
「あっ、なかなか上手くできてるじゃないの。さすが、あたしが教えただけあるわね」
「余計なお世話だ」
 高校の陸上部で百メートルのエースを張っているだけあって、スタイルはいい。
 長く結っているポニーテールも、こいつのかわいげのあるところなんだけど……
「まあ、罪滅ぼしってところなのかしら」
 何が罪なのか……もちろん、衣澄との間に子供を作ったことだろう。
 口だけは近所の意地と見栄張りババアに負けないくらいの毒を持ってるから、普通の男じゃ太刀打ちできるはずがない。
 実際、こいつに告白して玉砕した人間は星の数ほどいる。
 兄の俺が言うのも何だけど、こいつの嫁になれる奴がいたら、握手して思いっきり同情してやりたい。
「そんなんじゃねえよ。あいつが困ってるから作ってるだけだ」
「ふうん。妊娠させたから困らせたの?」
「…………」
 間違ってないから反論できねぇ。
「それとも、襲ったからなの?」
「…………」
 それもだ。
「あっ、喧嘩ふっかけてばっかりだからかなぁ?」
「優紀」
「うん?」
「ギ、ギブアップ」
 俺は優紀に向かって手を合わせた。
 こいつ、俺の心の重石を蹴りつけるような真似しやがるんだよなぁ……
 こういうこと言われるの、苦手なんだよ……
「まあ、女の敵だってことは確かね」
「ぐ……」
 ……俺、KO。
 俺はうなだれて、机をバンバン叩いてギブアップの意志を示す。
「頼む、これ以上は……」
「あははっ。まあ、そういう風に思ってるならいいんだけど。女の子に妊娠させといて、捨てるように別れるって男と比べると十分マシだからね」
「俺がそんなことする男に見えるか?」
 顔を上げながら、俺は優紀に向かって真剣に言った。
「見えるわけないでしょ。お兄ちゃんは衣澄さんのこと好きだって、はっきり言ったんだし」
 苦笑しながら、そう言う優紀。
「それに……」
「それに?」
「お兄ちゃんの部屋から聞こえてくる二人の声が、ねぇ」
 カンカンカンカンカンカン。
 俺の頭の中で、完全レフェリーストップのゴングが打ち鳴らされた。
「んじゃ、あたしは学校で夜トレしてくるからね〜」
 こ、こいつ……
 ほんっとーに聞こえてたのか?!
 確かに、家でもやってたけど、んじゃ、あんなコトも、こんなコトも……
 なんてこったい。
 テーブルに突っ伏しながら、優紀のいなくなった廊下をただ見つめてる俺。
 衣澄の妊娠が判ったときよりかはいいけど、相変わらず優紀はさっきみたいなことを言って、俺にプレッシャーをかけてくる。
 前に衣澄が仲裁してくれるまでは「強姦魔」とか「人でなし」とか、酷かったもんなぁ……今これだけで済んでるのは、衣澄のおかげだ。
 ほんと、二人には頭が上がらないよな。
 特に、衣澄には。
 しっかり、責任取ってやらないとな。
「……さて、と」
 俺はゆっくり立ち上がって、またガス台のほうに歩み寄った。
「そろそろ、お姫様の所に行くとしましょうか」
 手作りのおかず、いっぱい持っていって、な。

 *

『――次は、竹の塚、竹の塚です』
 ガラガラの電車内に、黒のワイシャツと黒のスラックスって格好で、惣菜が入った手提げバッグを持った男が一人。
 自分で言うのも何だけど、これほど浮いてる格好っていうのもないだろうな。
 さっきからどっかの女子高生共が、こっち見てクスクス笑ってやがるし……黙ってろってのに。
 こら、指差すな、指。
 まったく、最近の女子高生は礼儀ってもん知らないんだな……って、衣澄も去年まで女子高生だったんだっけ。
 ほんと、どうしてここまで差が出るんだか。
 凶暴さでは衣澄のほうが大差で勝ってるけどな。
 まあ、それだけ優佳さんにしっかり育てられたってことなのかな。
『まもなく、竹の塚、竹の塚です』
 お、そろそろか。
 俺の住んでる町から三駅。そんな遠くないところに衣澄は住んでいる。
 大学からそんなに遠くないから、サークルの練習の時とかには結構便利なんだよなぁ。まあ、『あんなこと』があってからは滅多に泊めさせてはくれないけどさ。
 電車はだんだんスピードを落として、見慣れたホームにゆっくりと滑り込んだ。
『――竹の塚、竹の塚です』
 アナウンスとともに、ドアが素早く開く。
 俺はゆっくりと電車から出て、近くの階段を昇り始めた。
 ……げっ、さっきの女子高生たちも一緒かよ。
 なんか、タチ悪ぃなぁ……
 嫌な気分で階段を上がり、出口へ向かった俺は胸ポケットから切符を取り出した。
「ん?」
 ふと、人々の姿の中で見慣れた後ろ姿がひとつ、改札前で目に飛び込んでくる。
 ボブカットに青のカーディガン……間違いなくあいつだろう。
 改札を通過し、そいつのところにゆっくり歩いていく。
 そして……

 ごつんっ

「きゃっ!」
 早速そいつの頭の上に手提げバックを置いてやった。
「な、なにすんのよ、バカっ!」
「おお、すまん」
 この反応、この反応。
 これじゃなくちゃ衣澄じゃないよなぁ。
「わざわざ出迎えに来てくれたのか?」
「違うわよ。コンビニまで買いに来たついでに寄っただけよ」
 頬を膨らませて、ぷいっと横を向く衣澄。
「ほっぺた、赤いぞ」
「あ、あんたねぇ!!」
「本当だろうが」
 ふと横を見てみると、そんな俺達のことを見ているさっきの女子高生どもが改札前にいた。
 へっ、俺だって彼女持ちなんだぞっ。
 心の中で威張ってみせる俺。
「このバカっ!」

 ごすっ!

「がぁっ!」
 付け足しとく。
 すっげー凶暴な彼女だけどって。
「なんだよ、財布でぶつことないだろ!」
「あーらごめんなさい。小銭がいっぱい入ってるの忘れてたわ」
 わざとだ、こいつ絶対わざとだ。
 女子高生どもも笑ってやがるし。
「まったく、せっかく人がいろいろ作ってきてやったのによぉ」
「えっ、ほんと?」
「お前の目は節穴か……ほれ」
 俺はそう言って、衣澄にバッグの中身を見せてやった。
「今日も全部手作り?」
「当たり前だろ。優紀が手伝ってくれるわけないし」
「そっか。んじゃ、早く帰ってこれ食べよ?」
 そっけないけど、目が甘えてる衣澄。
 こいつらしいよ。
「そうだな。ちゃんとごはんは炊いといたか?」
「うん」
「あいかわらず、アレでか?」
「う、うん」
「ま、いいだろ。行ってメシにしようぜ」
「はーい」
 そう言って、俺は歩き出した。
 その後ろをとてとてとついてくる衣澄。
 そして、ちょっとふくらんだそのお腹。
 少しずつだけど、確実に大きくなっているお腹。
 ……本当に、この中に俺と衣澄の子がいるのか?
 衣澄のこの姿を見るたびに、そう思うことが最近多くなってきた。
 最初、優佳さんに言われたときにちょっと実感できたけど、やっぱり不思議だ。
 嫌だとか、そういうのじゃない。
 まだ、信じ切れないだけだ。
「……なにさっきからジロジロ見てるのよ」
 ジト目で見上げてくる衣澄。
「別に、なんでもない」
「あっそ」
 本人がまったく変わってないんだから、なおさら思う。
 こんな衣澄でも、本当に母親になれるのか……?
 俺は心の中で、何度もそう疑問に思った。

 *

「ただいまぁ」
「おじゃまします」
 ドアを開けて、いそいそと部屋に入ろうとする俺達。
 そのとき、衣澄はしっかりと靴をそろえて入ろうとする……こういう所は、やっぱお嬢様育ちだ。
 俺もつられて、靴を直して部屋に入る。
 部屋のつくりはというと、ダイニングキッチン一間に洋室二間。しかもキッチンはシステムキッチンで冷暖房完備ときてる。
 これをアパートと呼ぶには抵抗あるんだけど、俺には。
 しかも、これで月六万っていうんだから、都内にしちゃ安すぎるぞ。
「隆也、早くご飯食べよ」
「へいへい」
 俺は、衣澄が待ってるキッチンに入っていった。
 衣澄はというと、最近買ってあげたエプロンをつけている。
 赤地に黒猫がくて〜っと寝ている、変なエプロンだ。
「お前、それ気に入ってるのか?」
「別にそうじゃないわよ。これしかないからつけてるだけ」
 その割には、丁寧にアイロンがけしてるようだけど。
 ほんと、素直じゃねえな。
「へえ」
「それより、今日は何作ってきたのよ」
「まあ待て。メシは逃げないぞ」
 そう言って、俺は手提げ袋からタッパーを何個か取り出した。
 それを待ってましたとばかりに、開けていく衣澄。
 お嬢さん、手癖が悪いですぞ。
「ひじきに肉じゃがに、ほうれん草の和え物ね。おいしそっ」
「こらこら、つまみ食いするな」
 衣澄がタッパーに伸ばしていた手を取って、俺は衣澄を諭した。
「わかってるわよ」
 わかってねぇだろうが。その手は。
「その前にこれを皿に乗せて部屋に持ってけよ。俺はごはん持ってくからさ」
「はーい」
 ちょっと不機嫌な口調で、衣澄は戸棚から皿を取り出し始めた。
 さて……と。
 俺はというと、ガスコンロの前に立って、ある物を見つめていた。
 鍋。
 何の変哲もない、一個の小さな鍋。
 それを開けると……
「おおっ」
 白い蒸気に、白いご飯。
 しっかり、つやつやとして立っている白米たち。
 それが、普通の鍋で炊かれている。
「衣澄、やっぱ上手じゃん」
「そう?」
 まるで当然みたいに言ってるし。
「炊飯器が使えないってのが嘘みたいだな」
「ばっ、バカ!」
 そう。
 実はこいつ、炊飯器が使えなかったりする。
 その代わり、鍋とか釜だったらご飯が炊けるっていう、ある意味古風な女なんだよな。
 もう一つ、機械オンチっていう言い方もあるけど。
「ずっとこれで作ってたから、こっちのほうが慣れてるの!」
「だからって、普通吹きこぼれで炊飯器壊すか?」
「だってぇ……」
「俺がせっかくプレゼントしてやったんだけどな」
「ううっ」
「まあ、これも美味いからいいけど」
 俺はそう言いながら、しゃもじで鍋の米をかき回した。
 ごはんはしっかり炊けてる上に、ほどよくお焦げがついてる。
 だから、こいつの作るご飯はいつも楽しみにしていた。
「んじゃ、部屋に持っていくぞ」
「あ、あたしも」
 お盆にそれぞれご飯とおかずを乗せて、洋間のほうに向かう俺達。
 それなりに広い部屋に、テーブルが一つ。
 ちょっと寂しいけど、一人暮らしの客間ならこれで十分だろう。
 そこにご飯とおかずを置いて、俺達は向かい合わせに座った。
「それじゃ、いただきます」
「いただきまーす」
 そう言って、俺はご飯を一口食べてみた。
 ……うん、美味い。
 やっぱり、手作りの炊きたてっていうのは美味いな。
 衣澄はというと、俺の作ったおかずをひょいひょい口に入れていっている。
 口には出さないけど、こいつの「美味しい」っていう意思表示だ。
「衣澄」
「うん?」
「やっぱ、ご飯美味いな」
「ありがと」
 そっけなく返事する衣澄。
 そのくせ、体ではしっかり反応しているんだよな。
 ゆらゆら揺れながら、嬉しそうに笑ってるし……本当、わかりやすい奴だよ。
「これで、あとはお前が関東の味づくりに慣れてくれればな」
「……しょうがないじゃない、まだ慣れてないんだから」
「まあ、しっかり努力してくれ」
「わかってるわよ」
 まあ、こいつの適応力だったら大丈夫と思うけど……
 俺はそう思いながら、ご飯を食べ続けた。

 *

 水道止めて……片づけ、おしまいっと。
「衣澄、洗い物終わったぞ」
「ありがと」
 振り返って洋間を見ると、衣澄はテーブルに身を預けてぐだーっとしている。
 身重なあいつにあまり負担をかけたくないから、俺が代わりにやってるわけだ。
 タオルで手を拭いて、足早に衣澄の所に行く俺。
 そのまま衣澄の隣に座って、俺は衣澄の横に寄り添った。
「なに?」
「いや、さ」
 俺はそう言うと同時に、衣澄のお腹に手をやった。
「ん……」
 そして、軽くさすってやる。
 温かい。
 そして、ちょっと柔らかい。
 服の上からでもわかるその温もりを、俺はそうやって何度も撫でていた。
「隆也、そうやるの本当に好きよね」
「まあな」
「隆也って、子供好きだったっけ?」
「別に嫌いじゃないぞ。むしろ、好きだと思う」
「ふうん」
「俺と衣澄の子だったら、尚更な」
「そっか」
 そっけなく、でもちょっと笑顔を浮かべる衣澄。
 ほんの少しだけど、母親って感じがするな。
「元気に育てよ〜……って、聞こえるわけないか」
「大丈夫、届いてるはずよ」
 衣澄はそう言うと、俺の手に掌を重ねた。
 やっぱり、温かい。
 いつもの凶暴な姿が嘘みたいに、衣澄は優しかった。
 でも……ちょっと思うことがある。
 どっちが、衣澄の本当の姿なんだろう――って。
 今日みたいな時以外にも、衣澄はたまにこんな一面を見せてくる。
「元気に、しっかり育ってね」
 どっちもこいつらしいって言ったらこいつらしいけど……やっぱり気になる。
「あと五ヶ月かぁ。それまで風邪とかひかないようにしないとな」
「大丈夫。あたしだって、この子に迷惑かけたくないもん」
「だったら、大丈夫かな」
「うん」
 穏やかな笑顔で、衣澄は自分のお腹をさすっている。
「あっ、そうだ」
 ふと、衣澄は俺のほうを向いてじーっと見つめてきた。
「な、なんだよ」
「さっき駅に行ったとき、なんか変な女の子たちいたけど、あれって何だったの?」
 変な女の子たち……? ああ、電車で一緒だった女子高生のことか。
「電車の中で、俺のこと笑ってた」
「隆也のことを? どうして?」
「俺の格好のことじゃねえの? 黒服に猫柄の手提げ袋って、そういないからな」
「うーん、笑うことなのかな?」
「今どきの女子高生の考えてることはわからねえよ。衣澄だったら、高校生のときどうしてた?」
「……あたしのとき?」
 衣澄はそう言うと、俺から視線を外して「うーん」とうなった。
「ああ。お前の高校生のときだけど」
「あたしの、高校生の時ねぇ……」
 苦笑して、上目遣いに俺を見る衣澄。
「あのね、あたし……」
「うん?」
「高校、行ってないんだ」
 …………
 ……え?
「あたし、中卒だったから」
「お、おい。それ本当か?」
「うん、本当」
「ということは、大検受験……?」
 俺の言葉に、衣澄はこくりと頷いて、そのまま俯いた。
「だから、ちょっとわからないな……」
「……すまん」
 俺はなんだか無性に済まなくなって、衣澄に軽く頭を下げた。
「ううん、謝ることじゃないわよ。ずっと隆也に言っていなかっただけだし」
「でも」
 謝ろうとした俺の口を、衣澄は手でぐっと塞いできた。
「いいの。……いいんだから」
 手をそっと放し、俺に寄りかかってくる衣澄。
「あたし、中学卒業してからはお姉ちゃんの手伝いしてたんだ。お父さん達が死んじゃってから、お姉ちゃんがずっと一人で会社のことをやってたから。
 高校ももちろん行きたかったけど、お姉ちゃんが夜遅くに帰ってくるの見て、あたしが手伝わないといけないと思って……お姉ちゃんは反対したんだけどね、あたしはお手伝いすることに決めたの」
「……偉いんだな、衣澄は」
「ううん、それが当然だもん。お姉ちゃんには小さいときからずっと育ててもらってたから、恩返しよ」
「なるほどね」
「それに、大学に入る前にいい社会勉強になったと思ってるの。お姉ちゃんに代わって接客したり、生地を業者さんに卸すときに、和服の作り方とか着付けとか教えてもらったり……あっ、太秦の映画村から、役者さんが直に店に来たことがあるよ」
「有名な人か?」
「有名も有名よ。お姉ちゃんと顔見知りで、よく見に来てたみたい」
「ふうん……」
 楽しそうに、俺に優佳さんのことを話してくれる衣澄。
 よっぽど、優佳さんを慕ってるんだろうな。
 でも……
「でも、どうして大学に行こうなんて思ったんだ?」
 俺は、聞いているうちに湧いてきた疑問を衣澄に問いかけてみた。
「あははっ、大したことじゃないけどね」
 そう言って、衣澄は恥ずかしそうに頭をかいた。
「もっと、色々な世界を見てみたくて」
「色々な世界……」
「あっ、これはお姉ちゃんからの受け売りなの。
 お姉ちゃんから、勧められたんだ。『学生生活に戻って、色々な世界を見てみなさい』って。
 最初はちょっと抵抗があったんだけど、大学案内とか見てて楽しくなっちゃって」
「それで、大検を受けて、大学受験もしたってわけか」
「そういうこと。勉強はきつかったけど、お仕事が終わってからお姉ちゃんも見てくれたから、合格できちゃった」
「ふうん……」
 大変だったんだな、と心の中では思う。
 でも、どうしても実感できない。
 俺自身、両親の親元でぬくぬくと育ってたし、平凡な学生生活を送ってきていた。
 そんな俺がいくら想像してみても、想像しきれるもんじゃない。
 そういう経験をしたからこそ、こいつは強いんだろうな……
「頑張ったんだな」
「うんっ」
「でも、わざわざ関東の大学にしなくたって」
「……あー」
 うん?
 なんか、恥ずかしそうに笑ってるけど……
「京都の大学も受けたんだけど……」
「落ちた、ってわけか」
「……うん」
「どこ受けたんだよ」
「……京都大学」
「なっ!?」
 きょ、京大!?
「あ、あの『東の東大、西の京大』って言われている京大か!?」
「えっ、そう言われてるの?」
 京大なんていったら、うちの大学より十数段上だぞ……
「……お前、知らないのか?」
「うん、近所だってだけで受験したから」
「あ……あのなぁ」
 き、近所かもしれないけど、壁は無茶苦茶高いぞ。それは……
「それだったら、うちの大学はどうして選んだんだよ」
「あそこは、お姉ちゃんが学力に合わせて勧めてくれたの」
「んじゃ、京大受けるって言ったら、優佳さんは?」
「『挑戦してみることもいいことよね』って」
 ゆ、優佳さぁん……
 あの人、優しいんだか残酷なんだか……
「……で、こっちは受かったわけだ」
「うん。
 本当なら、京都から離れたくなかったんだけどね……」
 そう言うと、衣澄は少し寂しそうに表情を曇らせた。
「やっぱり、優佳さんのことが心配か?」
「……お姉ちゃん、働き過ぎだもん」
「確かに、京都に行ったときもあまり会えなかったもんな」
 衣澄のことを追いかけて清水寺まで行った後、家に戻ると優佳さんの姿はなく「お仕事に行ってきます」という置き手紙だけがあった。
 それから二日間京都に滞在したけど、その間ほとんど顔を合わせることができなかったぐらいだ。
「でも、お姉ちゃんはいつも『心配しなくてもいい』って言うんだもん。本人のことは、本人が一番よく知ってるんだし……だから、こっちに来たの」
「そっか……」
「それに、ほとんど毎日電話してるから」
「そういえば、そろそろ時間じゃないのか?」
「うんっ」
 午後九時半。
 この時間になると、いつも優佳さんのほうから電話をかけてくるみたいだ。
「電話してる時のお前って、いつも幸せそうだよな」
「えへへっ……でも」
「うん?」
「今は、もっと」
「え?」
 な、何を言ってるんだ?
 何が「もっと」なんだ?
「衣澄、何が……」

 ぴろりろりろっ、ぴろりろりろっ

「あ、電話っ」
 俺が聞く間もなく、電話がかかってきた。
 ま、いっか。
「はい、もしもし」
 衣澄は嬉しそうに電話を取ると、明るい声で受け答えをした。
「あっ、お姉ちゃん。元気にしてる? ……うん、ウチは元気やで」
 さっきまでの標準語はどこへやら、衣澄は京都弁に戻っていた。
 ……いつものことなんだけど、やっぱり違和感がある。
 俺と話すときは標準語で、他のやつらと話すときは京都弁。しかも、一瞬で切り替わるんだから。
 俺に京都弁で話しかけたのは……始めて会った、最初の一回だけ。
 それからは、ずっと標準語で話してたもんな。
 でも、京都弁を話しているときのほうが、こいつらしい感じがする。
 最初に俺につっかかってきたときのあの表情が、一番。
「ねえ、隆也」
 しばらくして、衣澄が顔を上げて俺に話しかけてきた。
「うん?」
「お姉ちゃんが、電話替わってだって」
「おう……あ、もしもし」
 俺はコードレスの受話器を受け取った。
『もしもし、高口さん?』
「あ、そうです。お久しぶりです」
『お久しぶりです、元気にされてましたか?』
 丁寧な京都弁で、優佳さんが問いかけてくる。
「はい、元気です。優佳さんはいかがですか?」
『私は相変わらずです。元気に仕事してますよ』
「そうですか、それならよかった」
『今日はちょうど、太秦の映画村で衣装合わせの立ち会いしてきたんです。役者さんたちの演技とか、もっと元気になっちゃって』
「あははっ、やっぱり元気みたいですね」
 この人に『過労』っていう言葉は無縁みたいだ。
『元気だけが取り柄の私ですから。それと、衣澄はどうです?』
「ああ、相変わらずですよ。いつも俺につっかかってきて」
「つっかかってないもん」
 後ろからツッコミを入れてくる衣澄。
 でも、事実だろうが。
『なら、よかったです』
 安心したように呟く優佳さん。
 やっぱり、妹のことを心配しているんだろうな。
『これからが、衣澄の大事な時期だと思います。だから、衣澄のそばに、できるだけついてあげてください』
「はい」
『やっぱり、高口さんがいたほうが衣澄も元気みたいですから』
「えっ? どういうことですか?」
『ふふっ、それは秘密です』
「ゆ、優佳さぁん」
『とにかく、これからも衣澄のことをよろしくお願いします』
「ええ。俺もいろいろと迷惑をかけると思いますけど、よろしくお願いします」
『……高口さん』
「……はい?」
 優佳さんの優しい口調に、俺は思わず姿勢を正した。
『高口さんだからこそ、衣澄を任せるんですからね』
「……はい」
『衣澄を、幸せにしていただけますか?』
「もちろんです」
『本当ですね?』
「当たり前じゃないですか、衣澄には俺しかいないんですから」
『悲しませるようなことは、しないでくださいね』
「わかってます」
『あの子には、笑顔が一番なんですから』
「大丈夫……泣かせはしませんよ」
『……それなら、安心です』
 久々の優佳さんとの会話。
 その端々から、衣澄への想いが伝わってくる。
 唯一の、衣澄の肉親だもんな……
『じゃあ、衣澄に替わっていただけますか?』
「あ、はいっ。おい、いず――!?」
 俺が顔を上げると、
「…………」
 衣澄は顔を真っ赤にして、上目遣いで俺のことを見ていた。
 も、もしかして……ハメられたのか!?
 優佳さんに、誘導尋問されたってことなのか……!?
「……ん」
 俺も思わず照れくさくなって……顔を背けながら、衣澄に受話器を渡した。
「……はい」
 なんてこったい。
 俺は受話器を渡すと、衣澄に思いっきり背中を向けた。
 恥ずかしすぎて、顔中に汗が出てくる。
 優佳さんの話術に、まんまとハメられちまうし……ほんと、あの人は人の心をつかむのが上手だよ。
 だからこそ商売も上手く行ってるんだろうけど、それをわざわざ俺に使わなくたって……
 あー、だめだ。
 俺はあまりにも恥ずかしくなって、隣の寝室に逃げ込んだ。
「あ〜っ……」
 そして、ベッドに腰掛けて頭を抱える。
 よりによって、衣澄の前で告白みたいなことさせられるんだもんなぁ。
 普通、あいつの前じゃあんなこと言えないって。
 …………
 でも……
 気付いてみると、俺って告白らしいこと、衣澄にはしてなかったんだよな。
 なんとなく付き合ってた仲だっていうのもあったし、そんなこと意識したことなかったし。
 今のが、ちゃんとした告白っていうか……無茶苦茶照れくさいけど、とりあえず衣澄に言うことができたし……優佳さんには、感謝するべきかもしれない。
 だけど、あまりにも突然すぎるって。
 心の準備だってできてなかったのにさぁ……
「……隆也?」
「……ん?」
 顔を上げると、衣澄がまだ顔を赤くしながら、ドアの前に立っていた。
「な、なんだよ」
「…………」
 俺が顔を背けると、衣澄がゆっくりとベッドに近づいてくる。
 そして、俺の隣にちょこんと腰を下ろす。
「……さっきの、よく覚えておけよ」
「…………」
「俺、二度は言わないからな」
「…………」
 無言で頷く衣澄。
 俺だって、そう何度も言いたくない。
 安っぽい言葉には、したくないからな。
「……どうして黙ってるんだよ」
「と、突然言われちゃったから……」
「びっくりしたか?」
 また、こくこく頷く衣澄。
「優佳さんに、まんまとハメられたよ」
「……ねえ、隆也」
「なんだ」
「さっきの言葉……本当?」
「…………」
「た、隆也ってば」
「……あのなぁ」
 俺はためいきをつきながら、衣澄の頭を小脇に抱えて、
「ふぇっ!?」
「俺の言葉が信じられないってのか!?」
 髪の毛をくしゃくしゃ掻き乱してやった。
「やっ、やめてよぉっ!」
 衣澄はじたばたしながら、くぐもった声で非難の声を上げる。
「信じなかった罰だ!!」
「でっ、でも……」
「なんだよ」
「隆也って浮気性だから……似たような言葉、何度も別の女の子に言ってたんじゃないかって」
 ぎくっ!!
 こ、こいつは過去の痛い傷を……
「そっ、それは過去のことだ! 俺は、今は衣澄だけだし……」
「本当?」
「……好きでもねえ相手に」
 そう言って、俺は衣澄の頭を抱えていた腕をふっと緩めて、
「……っ!」
「こんなこと、しねえよ」
 衣澄の顔を、そっと胸に引き寄せた。
 ……恥ずかしいったらありゃしねぇ。
 でも……これが一番の証明。
 俺が、衣澄のことを好きだっていう。
「…………」
「…………」
「……隆也の胸、どきどきしてる」
「あっ、当たり前だ」
「だけど、あったかいね。
 隆也の体って、とっても大きくて、あったかくて」
「ありがと」
 衣澄の言葉に、俺は衣澄の頭を撫でながら応えた。
 そうすると、まるで猫みたいに俺に顔をすりつけてくる。
「こういうことだったら、いつでもしてやるから」
「……うん」
 そのまま、俺に体を預けてくる衣澄。

 ぼふっ

 俺たちはベッドに横になって、お互いの顔をじっと見つめ合った。
 見上げてくる衣澄の顔には、まだ赤みがさしている。
 きっと、俺の顔も赤いんだろう。
「衣澄さあ」
「……なに?」
「今、幸せか?」
 さっき、衣澄が言いかけたこと。
『もっと』っていうのは……俺といることが、もっと幸せってことなんじゃないかなって。
 最初に会ったときと違うのは、言葉だけじゃない。
 活発さも、ころころ変わる表情も、あのころとは違う。
 俺といると、ちょっとつっかかったりするけど、楽しそうでいる。
「……それは、隆也次第だよ」
 そう言って、衣澄が俺の胸に顔を寄せてくる。
 時には反発して、時には素直になって話しかけてきたりする衣澄。
 俺は、そんな衣澄といられて楽しかった。
 楽しいだけじゃなくて……こういうのが、幸せなんだろうな。
「だったら、これからもっと幸せにしてやる」
「できる?」
「やってやるさ」
 からかい気味の衣澄の言葉に、おどけて言ってみせる俺。
「お手並み拝見、させてもらうね」
「おうっ」
 笑って言う衣澄を、また抱き寄せる。
「ふわぁっ……」
「眠いのか?」
「うん、ちょっと……」
 時計を見ると、まだ十時半前。
 でも、今のこいつにはちょうど眠くなる時間だ。
「寝るか?」
「……うん」
 顔を上げて、目をこする衣澄。
「ちょっと、待ってろよ」
 起きあがって、足下の毛布をかぶる。
 もちろん、衣澄といっしょにだ。
「風邪ひいたら、いけないからな」
「うんっ」
 もう一度、衣澄を抱き寄せる。
 とてもあたたかくて……とっても安心する。
「……おやすみ」
「……おやすみさい」
 俺も、そう言って目を閉じる。
 優しく、衣澄の髪を撫でながら。

 俺の軽はずみな行動が、こいつに負担をかけたりしてるけど……衣澄は、それを受け止めて、俺といつも向き合ってくれている。
 だからこそ、俺も衣澄に向き合ってやらないといけない。
 そうしないと、衣澄を幸せにすることにできないからな。
 そして……やっぱり、思うんだ。
 口ではいろいろ反発したりするけど、それは思っていることの裏返し。
 口にはしていなくても、こればっかりはごまかしきれない。
 心の中だけで、言えること。

 衣澄。
 好きだぞ。

 そう思いながら、俺は衣澄の肩をぎゅっと抱き寄せた。
 衣澄も、俺の胸に顔を寄せてくる。
 この温もりを、二人で逃さないようにして……


[ To be continued ]


[ あとがき ]

 どうも、鷹取かずきです。
 約3年ぶりの続編となりましたが、いかがでしょうか。
 今回は、前回と違ってちょっとばかりゆったりとさせてみました。
 いつもケンカばかりっていうわけでもなく、衣澄と隆也にもこういう時間があるっていうことで……でも、ベタベタラブラブってわけでもなく、二人独特の関係っていう感じで書いています。

 えっと、ここでスペシャルサンクスを。
 いつも衣澄を描いていただいている佐瀬さん、本当にありがとうございます。佐瀬さんの絵があったからこそ、この続編が生まれたと思います。
 これからも、まだまだ衣澄&隆也の話をたくさん書いていきたいです。

 それでは、またっ。

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