あるいていこうよ


- "With me,with you." Side Story -


Written by Kazuki Takatori




「ねえ、隆也」
「んー?」
 朝ご飯を食べ終わった俺は、台所で食器を洗いながら衣澄に返事をした。
「食器洗い終わったら、ちょっと出かけよ」
「出かける?」
 一旦蛇口を止めて、リビングのほうに振り返ると、ちょっとずつおなかが大きくなっていた衣澄がこっちを見ていた。
「お前、そのおなかで大丈夫なのか?」
「このおなかだからよ。妊娠してるからって運動をさぼってたら、あたしも赤ちゃんも調子悪くなっちゃうもん」
 そう言って、おなかをさする衣澄。
 そのおなかの中にいる子は……もちろん、俺の子だ。
「そういうもんか?」
「そういうものなの」
「まったく、お兄ちゃんってほんと、そういうのに疎いんだから……」
 衣澄が苦笑いしてると、テレビを見ていた優紀が呆れたように俺に言ってきた。
「な、なんだよ。ただ知らなかっただけなんだからさ」
「お兄ちゃんね、自分のお嫁さんと子供のことぐらい、ちゃんと調べておきなさいよ。
 これだから、衣澄さんのことをはらま――」
「わあぁぁぁっ!! す、ストップストップ!!」
「うん?」
 優紀の言葉をさえぎる俺。
 衣澄にも聞こえてなかったみたいだし……危ねぇ危ねぇ。
「わ、わかった。健康のためだったら行くよ」
「あ、でも……どこ行こっか」
「なんだ、決めてなかったのか?」
 俺はタオルで手を拭きながら、リビングの椅子に腰掛けた。
「だって、行きたいと思ってただけなんだもん」
「あのなぁ……」
 まったく、こいつって奴は無計画なんだからよぉ。
「まず、人混みは避けたほうがいいな」
「お買い物とかしたいんだけど」
「そんなの、夕方でもいいって。それにここは俺の家なんだし、俺か優紀に任せておけばいいんだよ」
「そうそう」
「う、うん……」
 しぶしぶといった感じで頷く衣澄。
「あまり体に負担かけたってダメだしな」
「衣澄さんには、お散歩がちょうどいいんじゃないかな?」
「お散歩かぁ」
「なんだ、不満か?」
「ううん、そういうわけじゃないけど、ここらへんも見慣れちゃったし……」
 わ、わがままだなぁ……
「だったら、どこがいいんだよ」
「うーん……」
 考え込む衣澄。
 だからといって、俺にもいい考えがあるわけじゃない。
 駅前なんて、論外だしな……
「じゃあ、私がいつもトレーニングに使ってる公園なんてどうかな?」
 考えてる俺たちに、優紀が明るい声で割り込んできた。
「公園? お前、児童公園とかそういうんじゃないだろうなぁ」
「違うもん。市民公園だから、結構広くて遊歩道とかあるんだよ」
 市民公園……確か、北のほうにあるんだっけ。
 バス停の表示で、見たことがある。
「遊歩道ねぇ」
「他に、どういうのがあるの?」
「小川が通ってて、自然も多いわね……うん、胎教には、ちょうどいいんじゃないかな」
「だったら、そこにするか?」
「うんっ」
 衣澄は、笑顔で俺たちに頷いた。
「それだったら、バスを使わないと」
「バス?」
「そう」
「でもお前、いつもトレーニングに使ってるって」
「さすがに、衣澄さんに五キロも歩かせるわけにはいかないでしょ?」
 ……五キロ?
 それを、ほとんど毎晩往復で……
 こいつ、化け物だ。
「だからお兄ちゃん、交通費は出してね?」
「なっ、なんで俺が出さないといけないんだよ!」
「元の原因はお兄ちゃんでしょ」
「うっ……」
 こ、これを言われると辛い……
「だから、おねがーいっ!」
「おねがーいっ」
 二人が、上目づかいで俺に迫ってくる。
「ううっ」
「おーねーがーいっ」
「ねぇ、おにいちゃんってば」
 俺、陥落。
「わかったよ……」
 なんで俺、こう女に勝てないんだろうなぁ……

 近所のバス停でバスに乗った俺たちは、優紀が言っていた市民公園に向かった。
 休日の朝ってことでバスの中はガラガラ。
 ほとんど、俺たちの貸し切り状態になっていた。
 衣澄も優紀も、楽しそうにおしゃべりしてる。
 ……俺か?
 俺は、財布の中の寂しい状況を調べることで精一杯だった。
 バイトの給料が出るの、再来週だってのによぉ……
 ま、しょうがないか。
 衣澄の楽しそうな笑顔を見て、俺はそう思うことにした。
 それから、二十分ぐらい経って、
『次は、川柳グラウンド前。川柳グラウンド前です』
「あっ、ここだよ」
「ここ?」
「そうだよ」
 俺は財布の中から千円札を取り出して、下りる用意をした。
 優紀はというと、降りるためにボタンを押していた。
「うんしょっと……」
「衣澄」
「え?」
 俺は立ち上がりにくそうにしている衣澄に、そっと手を差し伸べた。
「つかまれよ」
「う、うん」
 ちょっと戸惑いながら、俺の手をつかむ衣澄。
「ありがと……」
「どういたしまして」
「でも、隆也がそういうことするって珍しいね」
「そっか?」
「お兄ちゃん、いつも衣澄さんにはそっけないもんね」
「そ、そんなことないぞ」
「そっけないよ」
「そんなことない」
「そっけないもん」
 こ、こいつら……
「あのなぁ」
『お客さん、降りるなら降りてくれませんかねぇ』
 あ。
 運転手さんが、マイク持ってにやにや笑いながらこっちを見てる……
 しかも、いつのまにかバス停に着いてるし。
「す、すいません……」
 俺たちはそれに気付いて、そそくさと金を払って外に出た。
 な、なんかすっげー恥ずかしいんだけど……
「あ、焦ったぁ……」
「お前らはいけないんだぞ? しつこく聞いてくるから」
「私たちは悪くないもん。ねー」
「ねーっ」
 なんか、本当の姉妹みたいに息が合ってるし。
「はいはいはい、俺が悪ぅござんしたよ」
「それでよろしい!」
 旗色が悪くなったと思った俺は、とっととそう答えてあたりを見回した。
「……なんか、結構広いな」
 俺たちが降りたバス停のすぐ近くに、その公園はあった。
 確かに、広い。
 まず駐車場が目の前にあって、公園を囲んでいる木々の向こうに見えるテニスコートが、三面。
 その奥にも、同じ広さのテニスコートが三面。
 そらに向こうには、野球場みたいな広場がある。
 ざっと見渡しただけでも、広い公園だっていうことがわかった。
「ほんとだね……」
「京都には、こういうところは少なかったのか?」
「あるにはあったけど、家からは遠かったから」
「なるほどね」
「うん」
 ちらっと衣澄を見てみると、なんか楽しそうに公園を見渡している。
 しかも、目が輝いてるし……ちょうど、いい場所かもな。
「ねえ隆也、行こうよ」
「そうだな。優紀、遊歩道ってどこにあるんだ?」
「えっと、ここから少し歩いたところよ。衣澄さんのいい運動になるわよ」
「そっか」
「それに、運動不足のお兄ちゃんにもね」
「……黙れ」
 これが図星なんだから、たまったもんじゃない。
 こいつ、いちいち言うことが刺々しいんだよ……
「隆也ってば、早く」
「あ、ああ」
 衣澄が服の袖を引っ張ってくるのに気付いて、俺は軽く頷いた。
 そして、歩き始める俺たち。
 市内とは違って、辺りには緑が多く、人工の建物とかがあまりない。
 こういうところで子供と遊んだら、きっと楽しいんだろうなぁ。
「いいところみたいだな」
「みたいじゃなくて、いいところよ」
 衣澄が嬉しそうに言う。
 もう、すっかりお気に入りみたいだな。
「優紀、いいところ教えてくれてありがとな」
「どういたしまして」
 やっぱり、こいつには頭が上がらないや。
「あっ、ほら、あそこだよ」
「え?」
 優紀が指さした先には、小さい橋がかかっていた。
 そして、その下には小さな川。
「へえ……」
 水も結構透き通っていて、そんなに悪くない。
 市内を通っている「元・日本一汚い川」に比べれば、雲泥の差だ。
「どう?」
「なんか、すっごいいいね」
「そうだな」
 川沿いの道も、しっかり植樹されて整備してある。
 それに、見通しもいい。
「こういうのを、散歩道っていうんだろうな」
「うんっ」
 俺と衣澄は、顔を見合わせて笑った。
 こういうときだけ素直なんだから、衣澄は。
「それじゃお兄ちゃんと衣澄さん、あたしはちょっとジョギングに行ってくるね」
「えっ?」
「ゆ、優紀ちゃん?」
「それじゃあね〜」
 俺らが聞き返す間もなく、優紀は手を振って来た道のほうに走っていった。
「……なんなんだ? あいつは」
「さあ……あっ、それよりも散歩しよ? 隆也」
「そうすっか」
 俺は苦笑して、また歩き始めた。
 その横を、衣澄がゆっくりとついてくる。
 俺が衣澄の歩調に合わせてるって感じなんだけどさ。
 それにしても、本当にいい景色だ。
 川向こうもいろいろな木が植えてあって、目に優しい。
 これからだんだん冬になっていくけど、ここなら紅葉も綺麗だろうな。
「楓とか松とか、いろいろあるね」
「お前、木の種類とかよくわかるのか?」
「これでも、家の庭の手入れとかよくしてたんだから。いろいろな木の面倒、あたしは見てきたんだよ」
「ふーん」
 普段のこいつの行動からして、あまり想像がつかないんだけど。
 でも、楽しそうに木を眺めているのを見ると、きっとそうなんだろうな。
「こういうところがあるのって、いいね」
「そうだな」
「ここで、この子と一緒にお散歩っていうのもいいかも」
 そう言って、ちらっとおなかを見る衣澄。
「俺もそう思ってた」
「本当?」
「ああ。こういうところで子供と遊ぶっていうの、結構楽しそうだしな」
「そうよね」
 衣澄が、嬉しそうに笑いながら飛び跳ねる。
「こらこら、はしゃぐなって」
「えへへっ」
「まったく……あまり走ったりするんじゃないぞ」
「はーい」
 しょうがない奴だ。
 子供みたいな時もあれば、大人びている時もある。
 まるで猫だよ、こいつは。
「でも、なんで突然散歩したいなんて言い出したんだ?」
「うーん、ちょっとね」
 意味ありげに笑う衣澄。
「あのなぁ」
「とりあえず、今は秘密」
「あとで教えてくれるなら、許す」
「ありがと」
 俺はため息をつきながら、また苦笑した。
 ま、飽きないからいいんだけど。
 それからしばらく、俺たちは黙ってあたりの風景を楽しむことにした。
 小鳥が飛んでたり、子供たちが楽しそうに遊んでいたり。
 俺たちの家の近所じゃ、あまり見られない風景だ。
「すいませーん!」
「うん?」
 橋の向こうのほうから、元気な声。
 振り向くと、野球帽をかぶった男の子が俺たちに向かって手を振っていた。
「ボールがそっちに行っちゃったんですけど、投げてくれませんか?」
「どっちだい?」
「木のほうです!」
 木のほう……
 元の方向を向いて、林を見てみる。
「あっ」
 あったあった。
 軟球が、木の根元に一個転がってる。
 俺は駆け寄ると、それを取って、
「それ、いくぞー!」
「はーいっ」
「それっ!」
 勢いよく、男の子のほうに投げ返した。
 そして、男の子もそれをうまくキャッチする。
 ちょっと方向がずれたのに、えらいもんだ。
「ありがとうございましたっ!」
「気を付けるんだぞー」
「はいっ!」
 男の子は俺たちに一礼すると、野球グラウンドのほうに走っていった。
 ファールかホームランで、こっちのほうまでボールが来たんだろうな。
「隆也」
「うん?」
 傍らを見ると、衣澄が楽しそうに笑っている。
「なんだよ」
「隆也も、結構優しいところあるじゃない」
「は?」
「子供のボール拾ってあげて、文句一つ言わなかったじゃない」
「当たり前だろうが」
「京都じゃ、庭に飛び込んできたボールを怒ってぶつけようとしてたもん」
「お前、そういう目に遭ったのか?」
「ううん、あたしがしてたの」
「…………」
 こ、こいつ……
「あっ、でも、今はそんなことしないわよ」
「当然だ!」
「今は、性格だって丸くなったし」
 自分で言うか、自分で。
「それに、今は子供がかわいいし」
「……そうだよな」
 なにせ、俺たちは来年には「親」になる。
 子供が産まれてくるステップが始まって、俺はだんだんそういうことも実感するようになってきていた。
 きっと、衣澄もそうなんだろうな。
「ちょっと、休憩するか」
「うん」
 ずっと歩いているのも、そんなにいいことじゃない。
 俺はそう思って、近くの川べりで休憩することにした。
「よいしょっ……と」
 衣澄がゆっくりと腰掛ける。
 それを見届けてから、俺もその横に座る。
「ふうっ」
「疲れたか?」
「ううん、大丈夫」
 衣澄は笑って、俺のほうを向いた。
 出会ったころに見せていた無邪気な笑顔じゃなくて……ちょっと、優しい感じがする笑顔。
「お前、ちょっと変わったな」
「えっ……どんな風に?」
「母親らしい顔になってきた」
「そうかなぁ」
「そうだって」
 戸惑ってる衣澄に、俺はそう返した。
 本人は自覚してないみたいだけど。
「うーん、そうだったら嬉しいな」
「ま、これからもまだまだ精進だな」
「隆也も、いいお父さんになってよね」
「へいへい」
 そうだよなぁ。
 俺も、父親らしくならないとなぁ……
 でも、できるんだか、できないんだか。
「この子も、きっと待ってるんだから」
 衣澄はおなかに手を当てて、優しく、慈しむように撫でた。
 少しずつ、大きくなってる子供。
 最初は実感が沸かなかったけど、それを見て、だんだんと実感が沸くようになってきた。
 俺が五歳のときに優紀が産まれたけど、そのときもこんな感じだったし……
 でも、今度は俺の子供。
 衣澄のそばでずっと見ていたんだもんな。
 実感が沸いて、当然だ。
「元気に、育てよ」
 俺も、衣澄の手に手を重ねた。
 秋の涼しい空気に、衣澄の手のひらはとっても温かかった。
「あっ」
「うん?」
 衣澄が小さく声を上げて、おなかを見つめる。
「どうしたんだ?」
「この子も、朝になったから起きたみたい」
「えっ?」
 俺の問いかけに、衣澄が嬉しそうに顔を上げた。
「この子、おなか蹴ったの」
「本当か?」
「うんっ」
「……そっか」
 笑顔で頷く衣澄に、俺も思わず笑顔になった。
「ちょっと、いいか?」
「うんっ」
 俺は横になって、衣澄のおなかに耳を当てた。
 すると……とくん、とくんと、小さな鼓動が聞こえる気がした。
 衣澄の鼓動かもしれないけど、この子の鼓動かもしれない。
 そう思うと、笑みを止めることなんてできなかった。
「元気に、育ってるみたいだな」
「あたしも、元気にしてないとねっ」
「風邪ひいて、体を壊したりするんじゃないぞ?」
「わかってる。それだから、体を動かしたかったの」
「そっか、それでか」
 こいつも、こいつなりにいろいろと考えているんだよな。
 俺よりも、母親になる衣澄のほうがたくさん。
 ……そうだ!
「だったらさ、これから土曜日になったら俺ん家に泊まれよ」
「えっ、どうして?」
「ここが気に入ったならさ、毎週朝、ここに来ようぜ」
 俺は、今さっき思いついたばかりのことを衣澄に告げた。
「……いいの?」
「ああ、俺は別にかまわないぞ」
「本当?」
「ああ。日曜だったらバイトもサークルの練習もないしさ」
「それなら……甘えちゃおうかな」
「よし、決定」
 嬉しそうに笑う衣澄。
 いつも俺に突っかかってくるのが、嘘みたいだ。
「この子のためにも、一生懸命やらないと」
「俺も、サポートできることはするからな」
「よろしくねっ、お父さん」
「なっ!」
 て、照れるじゃないか。
「あ、あのなぁ」
「えへへっ」
「まったく……」
 苦笑いしながら、俺は衣澄の頭を撫でてやった。
「この子が産まれたら、名前、どうしよっか……」
「そうだな……」
 俺はちょっと唸って、名前を考えてみた。
 ずっと、元気であるように。
 衣澄のように、無邪気であるように。
 俺は、そう願ってこの子の名前をつけることにした。
「この子の名前は――」

 秋空の下。
 俺たちは、生まれてくる命に想いを馳せていた。
 春になったら、この子と一緒にここに来たいと願いながら……



Special thanks for Yukihiro Saze

 

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