体育祭の朝は、慌ただしさから始まった。
いつもの電車よりも数本早く登校して、教室に荷物を置いたらすぐに保健室へ。
「……おはようございます」
「あっ、おはようございます。ぐっすり眠れましたか?」
保健室に入ると、いつもの白衣姿で天原先生が立っていた。
「……はい」
「それならよかったです。それでは、用意を始めましょうか」
「……テントのほうは?」
「もう設営されてますよ。あとは荷物を運び出すだけです」
「……わかりました」
先生の指示通りに、まとめられていた応急措置用のセットを外へと運び出す。
クーラーボックスに入れられた氷嚢、保冷剤や、包帯や絆創膏、消毒液といったもので、何回かに分けて持ち出していった。
少し大変だったけれど、保健室と校庭が繋がっていて助かった。
外への持ち出しが終わったら、今度は設営。
机に持ち出したものを並べたり、ビニールシートの上に毛布を敷いたり。
それが全部終われば、あとは保健委員としてのお仕事を待つだけ。
でも、最初から来る人はいないわけで……少し、暇。クラスのほうにも顔を出したかったけど、持ち場を離れるわけにもいかない。
――ゆたかは、今日来ているんだろうか。
数日間休んでいただけに、今日も休んでいるのか。
それとも、ちゃんと来れたのだろうか。
休んでいたとしても、泉先輩には勝たないといけない。
来ていたとしたら、必ず泉先輩に勝って……ちゃんと、謝ろう。
それから、想いをちゃんと伝えないと。
「よーしっ、みんなちゃんと集まったね!」
創作ダンスを終えて、午前に残るのは最後のプログラム。
日下部先輩を始めとした三人の先輩といっしょに、私は入場門に集まっていた。
「ウチらC組・D組連合は今三位! でも、これで勝てば一気に逆転の目もあるよ。
ここで一気に追い越して、午後の男子競技にバトンを渡そう!」
「「はいっ!」」
「……はいっ」
「まあ、ここまで来たらあとはちゃんとそのバトンを渡すこと。それが一番大事だから、
しっかり繋いでいこうね!」
「「はいっ!」」
「……はいっ」
他の二人の先輩といっしょに、力強く頷く。
確かに私は泉先輩と勝負してるけど、これはあくまでも団体競技。和を乱すことだけは、絶対してはいけない。
「それじゃ、最後に行くよっ!」
そう言って、開いた手の甲を差し出す日下部先輩。
私たちは、その下に同じように開いた手の甲を差し出して――
「勝つぞーっ!」
「「おーっ!」」
「……おーっ!」
先輩達につられて、いつになく大きな声。
これで、気合いも十分。
「岩崎さん、頑張ろうねっ!」
「昨日いっぱい練習したもん、きっといけるよ!」
そのままの元気で私に話しかけてくる、二年の成瀬先輩と、三年の藤井先輩。
「……はいっ」
だから、私も精一杯元気を込めて頷いた。
いつも失敗していた私を温かく見守ってくれていた、二人の先輩。日下部先輩もそうだけど、二人の先輩にも感謝しないといけない。
「岩崎さん、昨日の成果思いっきり出そうね!」
「はいっ……あの、先輩」
「うん?」
「その……ありがとう、ございました」
ぺこりと、小さく頭を下げる。
「だっ、だから、そーゆー堅っ苦しいことはやめよ? それにさ」
困ったように笑いながら、日下部先輩が私の肩にポンと手を置く。
「まだ始まったばっかりだよ。そーゆーのは、全部終わってから」
そうか……まだ、今は始まりなんだ。
「そんじゃ、がんばろーね!」
「……はいっ」
私が頷くのを見て、日下部先輩は満足そうに笑いながら入場列に並んでいった。
私も、それにならって列へと並ぶ。
「……あっ」
隣には、別のチームの走者として泉先輩が並んでいる。
だけど、泉先輩は私を一瞥しただけで何も話そうとはしない。
――今は、言葉はいらない。
まるでそう言っているように、すぐに視線をそらす。
『次の種目は、チーム対抗の女子選抜スウェーデンリレー。午前最後の種目です』
そのアナウンスが流れた瞬間、心がぐっと引き締まる。
もうすぐ、勝負の時。
門が開いて、まわりからの歓声が聞こえてくる。
自分の出番が終わってまわりで遊んでいた人たちも、客席に集まって私たちのことを見ていた。
……まるで、焼き付くような緊張感。
その中で、私は泉先輩に個人的な勝負を挑もうとしている。
決して許されないことだけど、もう、決めてしまったから。
絶対に、泉先輩には負けないと。
『各チーム、走者はスタート地点についてください』
アナウンスとともに、走者ごとにそれぞれ異なるスタート地点へと散っていく。
最初に走る藤井先輩はスタートラインに。200mを走る成瀬先輩はその反対側に。300mを走る私は成瀬先輩についていって、最後に400mを走る日下部先輩は、藤井先輩についていった。
そして……私の隣には、同じ走者の泉先輩がいる。
私が今、絶対に勝たないといけない人が。
スタートラインのほうを振り返ってみると、藤井先輩はもうスタートラインについていた。私たちのチームは現在三位ということで、三番目のレーンをとることが出来たみたい。
それを確認しているうちに、最初の走者がクラウチングの体勢を取り始めた。
さっきまでざわめていた生徒席も、今はもう静まりかえっている。
もうすぐ、始まるんだ……
『位置について……よーい――』
アナウンスから一瞬間を置いて、
パァンッ!
ピストルが鳴るのと同時に、一斉に走者が飛び出していった。
静まりかえっていた生徒席が、また歓声を取り戻す。
……もう、後戻りは出来ない。
バトンゾーンでは、もう成瀬先輩がスタンバイしている。
コーナーに差し掛かって、藤井先輩は二位に上がっていた。
そのままコーナーを曲がりきって、バトンゾーンへと駆け込んでいく。
成瀬先輩も、軽くバトンゾーンを走り始めて――
「……あっ!」
そう思った、次の瞬間。
手を伸ばした藤井先輩が、追い抜こうとした別のチームの人に煽られて……
カランッ
バトンが、先輩の手からこぼれていった。
「先輩っ!」
私が叫ぶのと同時に、藤井先輩がすぐさま振り返る。
慌てて走り出して、バトンを拾いに行って――
「ごめん、成瀬!」
渡したときには、最後のバトンリレーになっていた。
「せ……先輩……」
「どうしよう……やっちゃった……」
呆然と座り込む、藤井先輩。
あれは、不可抗力のはずなのに……先輩のせいなんかじゃ、ないのに……
「ごめんなさい、岩崎さん……」
「藤井先輩……」
先輩はうなだれて、そのままうずくまってしまった。
どうにかしないとと思ったけど、私は次のランナーで……
それに気付いた私は、慌ててトラックを見やった。
第一コーナーを曲がりきっても、まだ成瀬先輩は最後尾を走っている。一位のA組・B組連合はもう第二コーナーを曲がっていて、泉先輩がバトンゾーンに立っていた。
その走者が、バトンゾーンに差し掛かろうとした直前……
「っ!?」
泉先輩が、挑戦的な視線で私を見つめてきた。
『その前に、決着をつけよう。みなみちゃんと私が戦うことで』
あの時と同じ、挑発的な目。
一瞬感じたその視線を残して、泉先輩はバトンを受け取って走っていった。
不安になんか、なっていられない。
私は、泉先輩に勝たないといけないんだから。
「……行ってきます」
私は藤井先輩の肩に一瞬手を置くと、何人もの走者が走り去っていったバトンゾーンに立った。
最後のコーナーを、成瀬先輩が全力で駆け抜けてくる。
それを見て、軽くバトンゾーンを走り出して――
「岩崎さんっ!」
先輩の言葉とともに、バトンを力強く受け取った。
そのまま、大きなストライドでストレートを駆け抜けていく。
ただひたすらに、足に力を込めて。
第一コーナーに差し掛かって、五位の選手の背中が近づいてくる。
少し大回りに走って、私はその選手を抜き去った。
でも、まだあと四人。
バックストレートで団子になっている人たちを、なんとか抜き去ろう。
向かい風の中、呼吸も忘れてバックストレートに向かう。
関係者席の前を駆けて、もう一人の間近に迫る。
今しないといけないのは、歯を食いしばって抜き去ること。
次に、泉先輩を抜き去ること。
その前の一人一人は、ただ邪魔なだけ。
100mを過ぎて、三位に立つ。
それでも、まだ泉先輩との距離は10mぐらいある。
次の第二コーナーで、少しだけでも差を詰めておかないと……
だけど、先輩は二位の走者を引き離し始めている。
大きなストライドを保って、私は先輩に食らいついていこうとした。
でも、差はほとんど縮まらない。
とんでもない速さで、先輩がバックストレートに入っていく。
「……はぁっ」
食いしばっていた歯が開いて、呼吸が漏れる。
速く走るための無呼吸が、終わってしまう。
「はぁっ、はぁっ」
それでも……先輩に負けたくない。
ストレートに入って、勝負をかけて……
でも……全然、縮まってくれなくて……体中が、悲鳴を上げていく。
足も痛くなって、肺も急に全力で動き出して……
意識が……遠のきそうに……
――みなみちゃんっ!
まさか……幻聴まで聞こえてきて……
――みなみちゃん、がんばって!
あれっ……声が、鮮明……?
千々切れになりそうな意識をつなぎ止めて、前のほうを見ると――
「がんばって! もう少しだよっ!!」
ゆたかが、救護テントから身を乗り出していた。
しかも、大声を張り上げて。
ゆたかが……応援してくれてる……
そう思った瞬間、体に力が戻っていく。
まるで、ゆたかの言葉が染み渡っていくように。
大きなストライドのまま、最後のコーナーを曲がる。
先輩とは、ほんの少しだけ差が縮まっていた。
あとは、このコーナーで仕掛けよう。
せっかくのゆたかの応援を、無駄にしたくない!
六メートル、五メートルと先輩の背中が近づいてくる。
でも、決定的には捉えられない。
あともう一歩なのに……もう少しで、届くのに!
じりじりと近づくうちに、私たちはバトンゾーンに突っ込んだ。
もう、時間がない。早く、先輩を抜かさないと……勝たないと!
また、ほんの少し差が縮まる。
その向こうでは、日下部先輩が手を伸ばしていて……
――お願い……届いて!
でも、その願いも虚しく……
私よりも少し早く、泉先輩に先にバトンを渡されてしまった。
「…………」
先にバトンを渡されたということは……私は、負けたということで……
トラックの内側へ倒れ込みながら、その事実を確認する。
負けたということは……
私は、ゆたかには想いを伝えられない……ということ……?
「はぁっ、はあっ……はあっ……」
肺が、酸素を求めるために激しく波打つ。
荒い呼吸と、額を幾筋も流れる汗。
それといっしょに……涙が、流れ出てくる。
ゆたかへの想いを、捨てないといけない。
私のことを、応援してくれたのに。
想いを通わせられると……そう、思ったのに……
「ううっ……」
やだよ……そんなの、やだ……
想いを告げられないまま、友達のままでいるだなんて……
「――なみちゃん、みなみちゃん」
遠くから、聞こえてくる声。
顔を覆っていた手をどけると、そこには泉先輩がいた。
「泉、先輩……」
さっきまでの挑発的な顔が嘘みたいな、いつも通りの穏やかな笑顔。
――その笑顔は、勝ち誇った笑顔なんですか?
そう言いたくなる心を抑えて、私は先輩のことを見上げた。
ゆたかのことを守れて、安心したんだろう……
私に絶望を与えられて、よかったと思っているんだろう……
暗い感情が生まれる中、先輩はいつものようにネコ口を見せると――
「……ふうっ。やー、お姉さん、すっかり負けちゃったよ」
「……え?」
って、えっ……? どういうこと……?
私は、先にバトンを渡せなかったのに……
「ほら、見てごらん」
先輩に促されて、私はトラックのほうを見た。
「あっ……」
日下部先輩が、わずかにリードしたまま走っていて――
わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!
大歓声の中、真っ先にゴールテープを切った。
「やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
大はしゃぎで、私のところに駆け寄ってくる日下部先輩。
「ありがとう岩崎さんっ! ううんっ、みなみっ、ホントにありがとっ!」
強引に引っ張られるまま、私はその場に立たされた。
「えっ? ……あの、その」
「すごいよ岩崎さん、あの差をあそこまで詰めるなんて!」
「ありがとう岩崎さん……私、あのままだったらどうしようって……」
藤井先輩と成瀬先輩も駆け寄ってきて、私に抱きついてきた。
「えっと……先輩……?」
「なにボーッとしてるの! 一位だよ、一位! 喜ばないとっ!」
「さっすがウチのエース!」
「なんてったって、MVPは岩崎さんだよ!」
え、えっと、優勝……?
なんだか、よく把握出来ないというか……
「やいちびっ子、ウチのみなみの実力を見たか! 文句は言わせないぞ!」
「やー、負けました負けました。まさかあそこまでみなみちゃんに迫られるとは」
確かに差を詰めはしたけど……でも、それで……勝ちで、いいの?
頭の中で、さっきまでの落胆と戸惑いと驚きが混ざっていく。
「約束通り、柊は一週間ウチのだかんなっ!」
「ええっ?! ちょっとみさきち、これは私とみなみちゃんの個人勝負なんだよ?」
「なーに言ってるんだ。これは代理戦争、仁義なき戦いだ!」
「ちょっ、おまっ、そ、それはないよーっ!!」
るるるーと涙を流してる泉先輩だけど……私のほうは、もういいの?
なんか、どうしたらいいかわからない……
「みなみちゃんっ!」
「えっ……?」
「おや、勝利の女神様のお出ましですかナ?」
泉先輩の言葉に振り向いた瞬間、
「みなみちゃん、すごいよっ!」
「わっ!」
ゆたかが、凄い勢いで私に抱きついてきた。
「ゆ、ゆたか……?」
「おおっ、ちびっ子妹! って、ウチのチームの子なんだよな。同じちびっ子なのに、感心感心」
「あのさーみさきち、ウチのゆーちゃんをちびっ子呼ばわりはやめてよね」
「ちびっ子妹はかわいさいっぱいなちびっ子だけど、お前はかわいげのないちびっ子だ!」
「なにをーっ!」
わははと笑っている日下部先輩に、ぷんすか怒っている泉先輩。
「……くすっ」
「あはははっ」
それにつられて、私もゆたかも思わず笑ってしまった。
本当、ゆかいな人たちだ。
「あー、楽しいところ悪いんやけど」
って、黒井先生がどうしてここに?
「これから表彰と中間得点発表やから、とっとと並んでくれへんかなー?」
「あっ!」
「ごっ、ごめんなさいっ!!」
黒井先生の額に浮かぶ青筋を見た私たちは、慌てて表彰台のほうに並び始めた。
「みなみちゃん」
その途中に、ゆたかが声をかけてくる。
「うん?」
私がゆたかのことを見下ろすと、ゆたかは両手で私の右手を包んでくれた。
「おめでとうっ!」
それは、久しぶりの感触。
私が大好きな、ゆたかの少し冷たい手。
そして、あたたかいゆたかの言葉。
「……ありがとう」
私は少しだけ笑って、ゆたかに小さく頷いた。
* * *
「「ごめんなさいっ!!」」
「……あ、あの?」
午前の部が終わった、その直後。
泉先輩に連れられて裏庭に来た私は、何故か先輩と田村さんに頭を下げられていた。
「あの……よく、わからないのですが」
「えーと、その……ですねー」
おずおずと顔を上げる、泉先輩と田村さん。
「ここ最近の、ゆーちゃんとのことなんだけどね?」
「……はあ」
その当のゆたかは、裏庭の入口近くで待ってもらっている。
でも、なんで私だけここに……?
「実は、その……全部、私とひよりんで仕組んでたことなんだ」
「……はい?」
えっと、仕組んでいたって……今回の勝負のこと?
「実は、みなみちゃんにゆーちゃんのことを聞く前からひよりんから連絡があって、どうしてゆーちゃんが泣いてたかを聞いたんだけど……それで、みなみちゃんにゆーちゃんへの迷いを晴らしてもらおうと、おねーさんが一肌脱ごうと思って」
それって、もしかして……
「だから、あの勝負を仕掛けた……と?」
「ほ、本当にごめんね! みなみちゃんにゆーちゃんへの気持ちを再確認してもらおうと思ったんだけど、あそこまで落ち込むと思わなくて……でも、なんか引っ込みがつかなくなっちゃってさ……あのね、最初からゆーちゃんとみなみちゃんを引き離そうとは思ってなかったんだ。だけど、その、今日もみなみちゃんが本気を出してたから、私も本気を出しちゃって……えっと、本当にごめん。私、みなみちゃんのことを煽るような真似しちゃったよね」
いつになく、しおらしく頭を下げる泉先輩。
ぴょこんと飛び出ている髪の毛も、まるで私に謝っているみたい。
「私もごめんね、岩崎さんの気持ちを探るような真似しちゃって……でも、このまま二人がぎくしゃくするの、どうしても見てられなかったから……」
田村さんも、半泣きになりながら私に頭を下げる。
「……謝らなくて、いいです」
「えっ?」
そう言うと、二人はきょとんとした顔を私に向けた。
「私こそ、ごめんなさい……自分の勝手な気持ちで、二人を振り回してしまって」
一旦言葉を句切って、そのまま話を続ける。
「むしろ……感謝させてください。私は、泉先輩と田村さんのおかげで、ゆたかへの気持ちに向き合うことが出来ました」
「みなみちゃん……」
「私は……ゆたかのことが、好きです。でも、それに対する迷いでゆたかを傷つけるのは、もう嫌です。だから……ちゃんと、伝えようと思います。その上で、ゆたかが望むなら……友達のままでも、私はいいと思っています」
自分で確かめるように話す私を、暖かい目で見つめてくれる二人。
二人とも、私のことを心配してくれたんだから……感謝こそすれ、怒ることなんて一つもない。
「これから……ゆたかに、ちゃんと話そうと思います」
「……そっか」
「がんばってね、岩崎さん」
頷く泉先輩と、両手で拳を握る田村さん。
「……うん」
せっかく、二人が私に想いを気付かせてくれたんだ。
この想いを、無駄にはしたくない。
「じゃあみなみちゃん、あとはお二人で」
「また、後でね」
泉先輩と田村さんは、手を振りながら昇降口のほうへと向かっていった。
ここに残されたのは、私と……入口にいる、ゆたかだけ。
高鳴り始めた胸を心の中で押さえながら、ゆっくりと歩き出す。
やがて、だんだん見えてきた木のアーチの下には――
「あっ、みなみちゃん」
いつもの笑みを浮かべたゆたかが、私のことを待っていた。
「もう、お話は終わったの?」
「……うん。二人とも、教室に戻っていった」
「そっかあ。私たちも、教室に戻ろっか」
「いや、その……」
「うん?」
今は、教室には戻れない。
「……ちょっと、いっしょに散歩しようか」
「そういえば、久しぶりに会うんだもんね。うんっ、いいよ」
かわいらしく、こくんとゆたか。
……ゆたかの仕草ひとつひとつが、心の琴線にふれていく。
そのまま、私たちは裏庭を歩き始めた。
いろんな植物がある小高い丘には、秋桜がたくさん咲いている。
木々は少しだけ色づいていて、みんな静かに風にゆられていて……二人きりで話すには、とてもいい場所だった。
「その……調子は、大丈夫?」
「朝はちょっと悪かったんだけど、寝ていたら気分が良くなったから。それで、天原先生に頼んで救護テントで見させてもらったんだ」
「……そっか」
だから、あの場にゆたかがいたんだ。
「みなみちゃんが走るって言ってたから、絶対応援しなくちゃって思って」
「……ありがとう」
ゆたかの言葉は、いつも私の心を暖かくしてくれる。
高鳴っていった鼓動も、少しだけ落ち着いて……
「その……ゆたか」
「なあに?」
「……この間は、ごめん」
植物の小径のまっただ中で、私は話を切り出すことにした。
「ゆたかの手を、突然払ってしまって……」
「えっ、えっと、それはあの、突然の事故で、私のほうが悪かったから――」
「ううん、違う」
ゆたかの言葉を遮って、首を横に振る。
「あれは、私の心の迷いのせい。私が、はっきりしなかったから……ゆたかを、傷つけてしまった」
「そ、そんなことないってば! みなみちゃんは、何も悪く――」
「ううん、私が悪い。もっと早く、自分の気持ちに気付くべきだった」
「……えっ?」
「初めて会って、採寸の日に再会して……それから、ゆたかはずっといっしょにいてくれた。私も、いっしょにいたくて、守ってあげたくて……気付いたら、ゆたかの姿を追っていた。休んでる日はさみしくて、来てくれると嬉しくて……でも、会えなかったこの数日間、ずっと心が痛かった。あんな形で別れたまま、仲直りもできないだなんて」
「みなみちゃん……」
「その中で、私はやっと気付いた……いつもゆたかが、私の心の中にいたということ。ゆたかに、いっしょにいて欲しかったということを」
私はそう言いながら、小高い丘から見える校門を指さした。
「あの場所でゆたかに『三年間よろしく』と言われたとき、いい人と巡り会えたと思って……それは、間違ってなかった」
そして、ゆたかのほうに向き直る。
「ゆたかは、いつも心をぽかぽかさせてくれて、笑顔をくれて……私は……」
言わないと。
今、ちゃんと想いを伝えないと――
「私は……ゆたかのことが、好き。
一人の女の子として……大好き」
さあっと、冷たい風が通り抜けていく。
私とゆたかの髪を、わずかになびかせて……
「あの……えっと……」
それに反発するように、頬が赤く染まっていった。
「私は、ね」
やがて、視線をさまよわせていたゆたかが私の目を見つめた。
「みなみちゃんのこと、友達として好きなんだ」
――そうか。
やっぱり、ダメか……
その言葉が、私の心の中に影を落としていく。
「だけど……」
「……えっ?」
一瞬外しかけた視線が、またゆたかへと戻る。
「みなみちゃんはいつも、私のことを守ってくれて、いっしょにいてくれて……この間、私が自分のわがままで倒れたときも優しく抱きしめてくれたよね」
それは、まっすぐな瞳。
私が大好きな、ゆたかの意志。
「私のことを保健室に運んでくれて、ずっと手を握ってくれて……その時のみなみちゃんの手のぬくもりが、どうしても忘れられないんだ。みなみちゃんが、そばにいてくれるみたいで」
「ゆたか……」
「でもね、休んでる間にそのぬくもりが消えていって……さみしくて、みなみちゃんとお話ししたくて……
みなみちゃんは私が心をぽかぽかにしてるって言ったけど、みなみちゃんも、私の心をぽっかぽかにしてくれてたんだよ」
ゆたかの言葉、一つ一つが私の心を高鳴らせていく。
「今、みなみちゃんに好きだって言われて、すっごく嬉しかった。みなみちゃんも、私と同じなんだって」
「……っ!」
突然、ゆたかが駆け寄ってきて……私の真っ平らな胸に、ぽふんっと抱きつく。
「私も、大好きだよ。
みなみちゃんのことが、大好きっ!」
私が、ずっと待ち望んでいた言葉。
それが、花咲くような笑顔といっしょに私の心を包んでいった。
「ゆたか……」
震える右手で、ゆたかの肩に手を回す。
それから、左手も肩に手を回して……
「ゆたかっ……!」
たまらなくなった私は、ゆたかのことをぎゅっと抱きしめていた。
ダメだ……もう、嬉しすぎて泣きそうになる。
「えへへっ……大好きだよっ」
すっぽりと私の腕に収まったゆたかが、幸せそうに笑いながら私のことを見上げた。
「私も……大好き」
私も、精一杯の笑顔をゆたかに向けてみる。
ちゃんと笑えてるかわからないけど、ゆたかの笑顔を見てると大丈夫そうだ。
「みなみちゃんの体、あったかいね……」
「ゆたかの体も……あったかいよ」
短い間触ってなかっただけなのに、ずっと待ち望んでいたゆたかの温もり。
大好きな温もりを、体で受け止められる日が来るなんて。
体の中がぽかぽかしてきて、幸せだらけになっていく。
「ねえ、みなみちゃん」
「……なに?」
「私たち、好きな人どうしなんだよね……?」
「……うん」
ゆたかの言葉に、顔がどんどん熱くなっていく。
まさか、ゆたかにそれを先に言われるとは。
「だったら……」
私のことを見上げながら、目を閉じるゆたか……って、えっ?
これって、まさか……まさか……!?
だけど、ゆたかは私に顔を向けたままで、顔を真っ赤にしてる。
「……いいの?」
私の問いかけに、ちょこんとうなずくゆたか。
その仕草が愛おしくてたまらなくなって……私も、目を閉じた。
それから、そのままくちびるを近づけて――
「……んっ」
「ふぁっ……」
ふれあったくちびるから、ぬくもりが流れ込んでくる。
体中で感じられる、ゆたかの温もり。
私だけの、大切な温もり。
このぬくもりを、ずっと守っていこう。
いつも、ゆたかが笑顔でいられるように。
いつも、ゆたかが元気でいられるように。
ずっと、ゆたかが私といられるように。
だって……
ゆたかは、私の恋人なんだから。
風に吹かれて、植物たちがざわめく。
まるで、私たちを祝福しているかのように。
* * *
見上げてみれば、高い青空。
風も少しずつ冷たくなって、秋の気配が深くなっていく。
「みなみちゃん、寒くないですか?」
「はい……大丈夫です」
いっしょにバス停に並ぶみゆきさんの問いに、私は小さく頷いた。
体育祭という忙しい日々が終わって、いつもの日常が戻ってきた。
二人での登校も、本当に久しぶり。
「あっ、ほら、みなさん来ましたよ」
みゆきさんに促されて駅のほうを見ると、泉先輩に柊先輩たち、それにゆたかがこっちに向かっていた。中でも、ゆたかは私のほうにとてとてと駆け寄ってきて……
「みなみちゃん、おはようっ!」
「……おはよう、ゆたか」
ぽふんっと、また真っ平らな胸に抱きついてきた。
「あらあら、仲良しさんですね」
「ほんと、二人とも仲がいいよねー」
にこにこと、私たちのことを暖かい目で見てくれるみゆきさんとつかさ先輩。
「もうっ、ゆたかちゃんったら朝から甘えちゃって」
「しょーがないよ。二人は完全無欠の仲良しさんなんだから」
手を繋ぎながら、こっちに向かって歩いてくるかがみ先輩と泉先輩。
――……先輩たちも、とっても仲良しだと思います。
ということを言ったら、また体育祭の午後みたいなことをされそうだから黙っておく。
まさか、あんな罠が待ってるとは思わなかった。しかも、先輩たち二人とも、それを喜んでやるなんて……もしかしたら、かがみ先輩のことを見る目が変わるかもしれない。
「だって、今日からまたみんなでお弁当を食べたりできるんだもん。ねっ、みなみちゃん」
「……うん」
あどけない笑みを浮かべるゆたかに、私もうなずいてみせる。
抱きついてくっついてる場所から、ゆたかのぬくもりが伝わってきて気持ちいい。
「はいはーい、桃色空間を広げるのはそこまで。ほら、バスがそろそろ来るから、ちゃんと準備しましょ」
「はーいっ」
かがみ先輩の言うとおり、スクールバスがバス停に滑り込んできた。
ドアが開くと、ぞろぞろと中に入っていって……でも、
「……ゆたか、このままじゃ乗れない」
「あ、そっか。ごめんね?」
そう言うと、ゆたかは名残惜しそうに私から離れた。
抱きついたままだと、ゆたかがバスのボディにぶつかってしまうかもしれないけど……
「これだったら、大丈夫」
「あっ……」
代わりに、ゆたかに右手を差しのべる。
それを見たゆたかは、一瞬ぼうっとした顔になったかと思うと、
「うんっ!」
笑顔で頷いて、左手を私の右手に絡めてきた。
私も頬をゆるめて、その手を優しくにぎる。
ぬくもりからは、ゆたかの優しい想いが伝わってくる。
私の想いも、ゆたかに伝わっていてほしい。
そう思うほど、このぬくもりは気持ちよかった。
まだまだ、幼い私たちの想いだけど……
少しずつ、二人のペースで育てていこう。
想いをのせた手をいっしょに繋いだまま、
「行こう、みなみちゃん!」
「……うんっ」
私たちは、ゆっくりとバスに乗り込んだ。
プリンセス・ブライド 完