[ ずっと、もっと…… ]

Written by Kazuki Takatori







 名雪が、ノートの上にペンを走らせる。
「だからね、ここの数字がこうなって……」
「あう」
「ほら、答えがこうなるんだよ」
「う〜っ……わからないよぅ」
 名雪がノートに書いたものを、真琴は頭を抱えながら見つめていた。
「しょうがないよ、まだまだはじめたばかりだもん」
「あまり焦ると、ぜーんぶ忘れるぞ? 真琴」
「ベッドで寝転がってるヤツに言われたくなんかないわよっ!」
「あいてっ」
 ちっ、消しゴムなんか投げてきやがって。
「祐一、邪魔しちゃだめだよ」
「そうよっ、真琴は勉強中なんだから!」
 今度はシャーペンを構えながら、俺のことを本気で睨みつけてくる真琴。
 本気の目だな、ありゃ。
「あのなぁ、俺の教え方が下手だって言って名雪を呼んだのは誰だよ」
「本当に下手なんだもんっ」
「祐一は難しく教えちゃうからだめなんだよ」
『ねーっ』
「ぐぁ」
 うなずきあっている二人を見て、俺は思わずベッドから落ちそうになった。
「まったく……邪魔しなければいいんだろ? だったら、下に行ってるからな」
「だめっ」
 ベッドから降りようとした俺の腕を、真琴がギュッとつかんでくる。
「んじゃ、どうしろっていうんだよ」
「祐一もそばにいるのっ」
「あのなぁ」
「あうーっ!」
 俺のことを見上げながら、目をうるうるさせる真琴。
 って、負けちゃダメだっ、相沢祐一!
「だって、俺が邪魔なんだろ?」
「祐一が邪魔しようとするからいけないのっ!」
「で、俺が教えてもダメなんだろ?」
「あう……で、でもっ」
「うわっ!?」
 真琴が全体重をかけて、突然俺の腕にぶらさがってきた。
「祐一はここにいるのっ!」
「わ、わかったから、腕を放せっ!」
「祐一、薄情だからわからないよー」
 名雪が、苦笑いしながらぼそっと言う。
「名雪っ、なんてこと言ってるんだよ!」
「どこにもいかない?」
「どこにもいかないからっ!」
「ほんと?」
「本当だって!」
「んじゃ……」
「うわっ!」
 いきなり真琴が手を放したもんだから、俺は前のめりになって、

 ごんっ!!

「ぐわっ!」
 そのまま地面とキスするハメに……
「あ、あうー……」
 後ずさろうとしている真琴。
「……まぁ〜こぉ〜とぉ〜」
 でも、俺はその足を掴むと、
「あうっ!?」
「逃がさねーぞコラぁっ!!」
 すぐさま起きあがって、真琴のこめかみに両手の拳をぐりぐりと押しつけた。
「うらうらうらうらっ!」
「ああっ、祐一やめなよー!」
「あう〜〜〜〜〜〜っ!」

 いつものように、騒がしい日々。
 真琴が戻ってきてからは、毎日がこんな感じだった。
 俺はそれを楽しんでたし、名雪や秋子さんも一緒に楽しんでいる。
 変わったことはと言えば、真琴がほんのちょっとだけ素直になったことと、名雪が真琴と仲良くなったことだと思う。
 今じゃ、真琴は妹みたいに名雪に懐いていて、名雪もそんな真琴に勉強を教えてあげたりしている。
 たまに俺とケンカすると、真琴が名雪に泣きついたりして、俺が名雪によく怒られたりしてるけど……まあ、名雪が真琴を受け入れてくれたみたいで、俺はなんとなく嬉しくなった。
 名雪の陰に隠れてあっかんべーをしてる真琴を見ると、ちょっとムカつくけどな。

 まあ、そんなこんなで色々あって、俺がこの街にやってきてから一年が経とうとしていた。

「祐一さん、お疲れさまです」
「あ、ありがとうございます」
 秋子さんのいれてくれたホットコーヒーに砂糖を入れて、それを一口すする。
 うん、美味い。
「名雪も疲れたろ?」
「ううん、そうでもないよ〜。それよりも……」
 コーヒーカップを手にした名雪がふと、相変わらず俺の椅子に座っている真琴を見た。
「あ〜う〜」
 すっかりへろへろな真琴。
 そりゃそうだ……朝からずーっと計算ドリルとかやってたんだからな。
「真琴〜、大丈夫かぁ?」
「あう、大丈夫じゃないかも〜……」
 机に突っ伏しながら、真琴が情けない声を上げる。
「もうちょっと待っててね」
 そんな真琴の隣で、秋子さんは計算ドリルの答え合わせをしている。
 赤ペンをすらすらと走らせる秋子さん……なんか、女子大生の家庭教師って感じだよな、うん。
「真琴、とってもがんばってたよね〜」
 こいつはこいつで、女子高生のアルバイト家庭教師って感じだけど。
「珍しいっていうか、なんていうか……」
「珍しいってなによ〜」
 へろへろな声で反論する真琴。
「いつもだったら、すぐ投げ出してたじゃんか」
「だって、学校行きたいんだもん〜。がんぱんなきゃ……」
 今、真琴は高校に入学するために猛勉強をしている。
 もちろんこいつは小学校にも入ってなかったんだから、徹底的に勉強しなきゃいけないわけで。
 だけど、
「はいっ、ほとんど全問正解ね」
「やったぁ〜」
 ぐったりしたまま、真琴が腕を上げる。
 ちなみに、秋子さんが手にしている計算ドリルは中学二年の物。
 そう。
 こいつは驚異的なスピードで、ゼロだったはずの学力をぐんぐんと上げていた。
 いくらわからない、わからないって言ってても、数時間後にはこんな風にコツをつかんで自分のものにしてしまう。
 あとはこれで、集中力さえあればいいんだけど……良くも悪くも、子供らしいってことなのかもな。
「間違ったところもケアレスミスだから、あとはしっかり集中してやれば大丈夫よ」
「あう、ケアレスミス?」
「うっかりして間違っちゃうってことだよ。祐一もよく先生に言われるよね」
「大きなお世話だっ!」
 名雪め、余計なこと言いやがって。
「だから、じっくりと問題を見て、計算もちゃんとやること。いいわね?」
「はぁいっ」
 笑顔で返事する真琴の頭を、秋子さんが優しくなでる。
「それにしても、中二のドリルもほとんどクリアするなんてな」
「ふっふっふっ、これが真琴の実力よっ!」
「はいはい、よござんしたね」
 俺はわざとらしくそう言って、コーヒーを口にした。
 でも、こういう風に言えるぐらい成長したんだから、やっぱり凄いと思う。
 ちなみに、俺も隠れてこのドリルに挑戦してみたんだけど、結果は……大惨敗だった。
 今の真琴と高校受験問題で勝負したら、確実に俺の大敗だな。
「はい、がんばったごほうび」
 秋子さんはそう言って、俺たちのとは別の盆からホットミルクと秋子さんお手製の肉まんを手にして、机の上に置いた。
「わぁいっ!」
 さっきまでくたくただった真琴が、満面の笑顔で肉まんにぱくつく。
 本当、こいつは肉まんさえあれば生きて行けそうだ。
「これで、中学二年までの過程は終わったわね」
「あとは中学三年だけだね〜」
 秋子さんと名雪が、ほっとしたように言う。
 まあ、これさえ越えればあとは受験まですぐだからな。
「そういえば、祐一さん」
 秋子さんが、にこやかな笑顔を浮かべながら俺のことを呼んだ。
「はい?」
「祐一さんがこの街に来てから、明日でちょうど一年ですよね」
「あ、そうですね」
「でしたら、明日はごちそうでも作りますね」
「えっ? いや、いいですよ」
 慌てて否定した俺だったけど、
「わたしも手伝うよ〜」
「真琴も手伝うーっ!」
 この二人の言葉に、すっかりかき消されてしまい。
 ……なんか、立場ナシ。
「あら、真琴は手伝わなくても大丈夫よ」
 え?
「あうっ、真琴もお手伝いしたいもん〜」
「明日は、祐一と思う存分遊んでていいんだよ〜」
 いつもだったら快諾する秋子さんと名雪なのに……拒否するなんて、珍しいな。
「それと、明日は勉強もお休みね。
 祐一さん。真琴のこと、よろしくお願いします」
「えっ? あ、は、はい」
 俺は、わけがわからないままうなずくことしかできなかった。
 それは、真琴も同じだったみたいで……
「あう……」
 納得してないような表情を浮かべて、俺のことを見ていた。

 *

「それにしても、なんなんだろうな」
「なんなんだろーね」
 商店街を歩きながら、俺と真琴はぼそぼそとつぶやきあっていた。
 あたりはすっかり夕闇に包まれていて、ちらちらと小雪もちらついている。
「いつもは秋子さん、真琴の手伝いも喜んで受け入れるのにさ」
「それに、お勉強もお休みだって……」
 買い物袋をぶらぶら揺らしながら、真琴が地面に視線を落とす。
「まあ、最近のお前は勉強とかよく頑張ってるからな。それのご褒美とかじゃないか?」
「ごほうび……かなぁ」
 納得してないみたいに、首を傾げる真琴。
 秋子さんに買い物を頼まれた俺たちだったけど、話すことといったらさっきからそればっかり。
 真琴は、嬉しい以前に「どうして?」ってことが先に来てるらしく、俺に幾度も聞いてくる。
 かくいう俺も、まったくわからないんだけどな。
「まあ、明日はどっか遊びに行くか」
「真琴も連れてってくれる?」
「当たり前だろ」
 三流大学に推薦が決まってる俺は、明後日の始業式までヒマ大王になってる予定だ。
 三流ってのが、悲しいところだがな。
 ちなみに名雪は、隣町の調理師専門学校に通うことにしたらしい。
 なんでも、秋子さんのように料理上手になりたいってことらしいけど、あいつだったらそれもできるだろう。
「どこか、行きたいところとかあるか?」
「行きたいところ……うーん」
 腕組みをして、真剣に考える真琴。
「うーん、うーん……」
「そんなに真剣に考えなくても……まあ、寝る前までに考えておけよ」
「あう……うん、そーする」
 釈然としない声で、真琴がうなずく。
「ところで、あと何を買えばいいんだっけ?」
「あう〜っ、祐一ってば、ちゃんとおぼえておきなさいよぅ」
「俺は一つのことを考えてると、すぐに忘れるタチなもんでな」
「まったくぅ。えーっと、あとは、ドラッグストアでぴろのごはんを買っておくように、だって」
 秋子さんのメモを、真琴が読み上げる。
「ぴろのごはん……キャットフードか」
「うんっ」
「何にすっかなぁ」
「この間はお肉のだったから、今日はお魚のにしようよっ」
「よし、それにするか」
 俺たちは、近場のドラッグストアに入ることにした。
 ここは薬だけじゃなく、ドッグフードとかも扱っていてなかなか便利な店だ。
 中に入るとすぐに薬の棚が見えてくるけど、ペットフードは一番奥の棚にある。
「あら、相沢君に真琴ちゃんじゃない」
「ん?」
 その声に振り向くと、
「ああ、香里か」
 セーターに身を包んだ、香里が立っていた。
「何? 買い物?」
「まあな。ほら、真琴。挨拶は?」
「こ、こんばんはっ」
 慌てて、真琴が挨拶する。
 人見知りが激しい真琴だけど、これでも慣れてるほうだったりする。
 まあ、香里とは何度か会ったことがあるしな。
「こんばんは、真琴ちゃん」
 優しく、香里が微笑む。
「香里も買い物か?」
「ええ、これをね」
 そう言うと、香里はビニール袋の中から何本かの小瓶や箱を取りだした。
「ヤンケルに、リボビチャンD……栄養剤か?」
「受験勉強で、夜遅くまで起きてるから」
 苦笑する香里の目のまわりには、確かに少しくまが浮き出ていた。
「あう〜……大変だねぇ」
「真琴ちゃんも、もうすぐ高校受験なんでしょ? がんばってね」
「うんっ!」
 真琴が、笑顔で応える。
「相沢君も、しっかり真琴ちゃんの面倒見てあげるのよ」
「俺が見なくても、こいつはしっかりできてるよ」
「あう」
 ぽんっと、真琴の頭に手を置く。
「ほんと、あなた達って兄妹みたいね」
 ちなみに、香里と北川には真琴のことをちゃんと紹介してある。
 二人にはいろいろ迷惑かけたし……それが、一番妥当だと思ったからな。
 それに、この土地に伝わる「おとぎ話」として、妖狐のことはある程度認識していたみたいで、そんなに苦労することなく、二人は真琴のことを受け入れてくれた。
「ま、似たようなもんだしな」
「ちょっと……うらやましいわね」
 ふと、表情が翳る香里。
 さっきの苦笑とも違って、なにか悲しそうな……
「何がだ?」
「ううん、なんでもないわ」
「そっか」
「じゃあ相沢君、明日学校でね」
「……明日?」
「何よ、忘れたの?」
「何をだよ」
 俺がそう言うと、香里がくすっと笑った。
「明日は大学合格者と受験者、両方とも合否判定か結果の報告をしろって、先生が言ってたでしょ?」
「……そうだったっけか?」
「名雪も聞いてるはずだけど……もしかして、聞いてないの?」
「ああ」
 そんなもん、北川とつるんでふざけてたら聞いてるわけがない。
「危なかったわね」
「行かなかった場合は?」
「そうね」
 少し考えた後、香里がまた口を開く。
「最悪、合格取り消しとか」
「マジかよ」
「先生、休みは厳禁って言ってたからね」
「おいおい……」
 ちらっと、真琴のほうを見ると……
「あう〜……」
 真琴が、俺のことを涙目で見あげていた。
 ……どーすりゃいいんだよ。

 *

「……で、私を呼んだというわけですか」
 呆れたように、制服姿の天野が呟く。
 薄曇りの学校前……前夜に電話で待ち合わせをした俺たちは、なんとか登校時間前に天野と落ちあうことが出来た。
「いや、ホントにごめんな」
「別にいいのですが……」
「あうーっ」
 抱きついてる真琴の頭をなでながら、天野は俺のことをじーっとにらんできた。
「冬休み最終日にいきなり呼び出すなんて、非常識と思っただけです」
「ぐぁっ」
 い、痛いところを突いてきやがる……
「しゅ、宿題終わってないのか?」
「いえ、もう昨年のうちに終わらせてしまいました」
 な、なんと手早いヤツめ……
「……だったらいいじゃんか」
「最終日ぐらい、のんびりとしたいと思うことだってあります。でも……」
 ふと、天野と真琴の目が合う。
「真琴と一緒なら、私も嬉しいです」
「真琴も、うれしいよっ!」
 にこにこ笑う真琴に、天野も優しく微笑みかける。
 天野は最近、こういう表情をたまに見せるようになった。
 まだ、傷は癒えてないかもしれないけど……それでも、こういう風に笑えるようになったのは、いいことだと思う。
 本当……天野と真琴を引き合わせて、よかったな。
「ありがとな、天野」
「それでは、相沢さんが帰ってくるまでお待ちしてます」
「あー、それなんだけどさ」
 俺はそう言うと、学校のほうをちらっと見やった。
「よかったら、真琴に学校案内してやってくれないか?」
「学校っ!?」
 俺の言葉に、過敏に反応する真琴。
「それはいい考えですが、許可は……」
「ああ、先生に見つかったら『名雪の従姉妹が学校見学したいっていうから来た』とでも言っておけばいいさ。もし何かあったら、後で石橋に何とか言っておくからさ」
「あう〜っ、学校っ、学校っ!」
 嬉しそうに飛び跳ねてる真琴を見たら、もう撤回なんてできないし。
「しょうがないですね」
 俺の意図を悟ったのか、天野は苦笑しながら真琴と手を繋いだ。
「待ち合わせは、いつもの場所でいいですか?」
「ああ」
 いつもの場所っていうのは、中庭だ。
 俺と名雪、そして天野が、真琴のことで待ち合わせをするときには、いつもここを使っている。
「雪が降ってきそうだったら、学食で待っててくれな」
「はい。では真琴、途中まで相沢さんと一緒に行きましょう」
「うんっ。ゆーいち、がんばってねっ!」
「おうっ」
 軽く頷いて、俺たちは校舎の方へと歩き出した。
 しばらくして、昇降口に入る。
「んじゃ、たぶん二時間ぐらいで終わると思うから。真琴も、思う存分学校を見ておけよ」
「うんっ!」
「それでは相沢さん、いってらっしゃいませ」
「いってらっしゃ〜いっ」
「ああ」
 俺は二人の見送りを受けながら、教室へと向かった。
 しかし、始業式前日に登校なんて……なんて学校だよ、まったく。
 そんな風にぼやいてると、すぐに教室にたどりついた。
 一階の、昇降口間近の教室――いわゆる最上級生の特権ってやつだ。
 一息吐いて、教室のドアを開ける。

 がらっ

「おい」
 そんな声が、真っ先に出る。
 教室の中には、見事に誰もいなかった。
 他の教室からは騒ぎ声とかするっつーのに、一体うちのクラスは……
 まあ、大学受験者が少ないからっていうのもあるんだろうけどさ。
「はぁ」
 ため息をつきながら、自分の席につく。
 窓際の、しかもストーブ間近の特等席。
 これを獲得するために、俺は幾多の修羅場をくぐってきた。
 学食一週間分で買収したり、ジャンケンで微妙に後出ししたり……相沢祐一の戦歴の中で、あれは激戦中の激戦だった。
 そんなことを思い出しながら、中庭のほうを見る。
 雪が積もった中庭には人気もなく、誰かが踏み入ったような跡もない。
 まあ、長い冬休みだったからな。
「早いじゃないか、相沢」
「ん?」
 ドアのほうを見ると、香里と同じように目の下にくまを作った北川が立っていた。
「よう北川、久しぶりだな」
「そうだな。……いいよなぁ、相沢は受験が終わって楽そうで」
 そう言って、席にへたりこむ北川。
 うーん、相当キてるみたいだな。
「徹夜か?」
「ああ……布団が恋しいよ」
 机に頬ずりしている北川。
 こりゃ相当重症だな。
「香里も夜遅いとか言ってたけど、医科大受験ってそんなに大変なのか?」
 何をとち狂ったのか、北川は香里と同じ医科大を受験しようとしている。
 片や香里は、学年で十番の指に入る秀才。片や北川は、俺と同じように下から数えたほうが早かった常連。
 明らかに結果は見えていたはず……なんだけど。
「まあ、模試でなんとかB判定取れたし……あとはこのまま突っ切ればどうにかなりそうだ」
 こんな事が平気で言えるぐらいに、北川の成績はグンと伸びていた。
「すげーな……」
「まあ、香里が頑張ってるのに、俺ががんばらないわけにはな」
 そのまま、机に突っ伏す北川。
「疲れてるわりに、クサい台詞は吐けるのな」
「愛のパワーのおかげだと言ってくれ」
 あー、真冬だってのに暑い暑い。
 こういう事を俺と名雪にだけ話してくれるのはなんとなく嬉しいけど、当てつけるのはやめてほしいもんだ。
「ま、がんばれ」
「香里のためならどこまでも……ぐぁ!」
 いきなり、ドアのほうから鞄が一個飛んできて、見事に北川の額に直撃した。
「なーに言ってるのかしら、き・た・が・わ・くん」
「うわっ」
 香里、笑いながら言ってるけど……顔はまったく笑ってねーぞ、おい。
「か、香里ぃ……ぐはっ!」
 さらに一撃。
「学校では『み・さ・か』って呼んでって言ったでしょ?」
「……ご、ごめんなさい」
 俺は今、香里を怒らせちゃいけないとマジで実感してる。
 鞄の角を北川の額にグリグリと押しつけてる姿を見たら、そう思うしかないだろ……
「み、香里、ストップ!」
「あら相沢君、おはよう」
 今度は、普通の笑顔な香里。
 でも、手にしている鞄の角は相変わらず北川の額をえぐっている。
「……そのくらいでやめといてやれ」
「それもそうね」
 俺の言葉で、香里はやっと鞄攻撃をやめた。
「た、助かった……」
 不憫だな、北川……
「それにしても早かったじゃない、相沢君」
「あ、ああ。昨日言われて気になってたからな」
「でも、真琴ちゃんは大丈夫なの?」
 どうやら香里は、昨日俺のことをじーっと見ていた真琴のことが気になってるらしい。
「真琴だったら、今は天野と学校見学してるよ」
「あっ、沢渡さん来てるんだ」
 早速復活してる北川……これも、慣れってことか。
「入試前に、下見ってところね?」
「ああ。それに、あいついつも外で待ってばっかりいただろ? たまには学校の中も見せておこうって思ってな。これが終わってから、どっか遊びに行ったっていいんだし」
「そう……相沢君も、いいとこあるじゃない」
「え?」
「ちゃんと真琴ちゃんの面倒を見てあげてるってことよ」
「そうだよなぁ。沢渡さんのことになったら、相沢って一生懸命だよな」
 うんうんと頷いてる北川と香里。
「な、なんだよ」
「別に悪い意味で言ってるんじゃないんだから、いいじゃない」
「そうそう」
 でも、なんかムカつくなぁ……
「私も、見習わないとね」
「大丈夫だよ、美坂なら」
「えっ?」
 な、何を言ってるんだ?
「こっちのことよ」
「なっ」
 香里と北川はそう言うと、意味ありげに笑った。
 何なんだよ、一体……
 釈然としないまま、俺は北川と香里のラブラブっぷりにあてられることになった。
 ……直接ラブラブじゃないとはいえ、辛いぞ、こりゃ。

 *

 無事に報告も終わって、放課後。
 まあ報告っていっても、どんな試験問題があったかとか、面接でどんな質問をされたかとかの、合格組と準備組の情報交換みたいなもんだったから、昼前には終わった。
 暇になった俺と香里、北川は、昇降口で靴を履き替えていた。
「はぁ……明日からはまた、苦労の日々かぁ」
「何言ってるのよ。北川君はもっと頑張らないといけないんだから」
「わかってるけどさぁ」
 弱音を吐いてる北川に、檄を飛ばしてる香里。
 やっぱり、こいつらってなんだかんだ言ってもいいコンビだよな。
「……ま、がんばれよ」
 とっくに受験が終わってる俺には、それしか言えることはなかった。
 昇降口から外に出ると、小雪がちらつき始めていた。
 風もそんなに吹いてないし、すぐに天気が荒れるというほどでもなさそうだ。
「まあ、これくらいだったら大丈夫ね」
「そうだな」
 俺たちは傘を差さないまま、真琴たちが待ってるはずの中庭にほうに向かった。
「……おっと」
 途中、深い雪に足を取られて転びそうになる。
「大丈夫か?」
「ああ、まあな」
 北国の風土にも慣れたせいか、俺もこんなもんじゃ転ぶことはなくなった。
 気を取り直して、中庭のほうへと歩いていく。
「きゃははっ!」
「待ちなさいっ!」
 お、やってるな。
 向こうのほうで、真琴と天野が雪玉を投げ合ってるのが見えてきた。
 雪合戦……だろうな。
「よしっ」
 足下の雪を、軽く握る。
 そして、狙いを定めて……
「それっ!」
 俺は手にしていた雪玉を、狙った方向にオーバースローで放り投げた。
「きゃあっ!」
 よしっ、命中っ!
 ……って、『きゃっ』?
 真琴がそんなかわいい悲鳴あげるはずないし……
「あっ」
 おかしいと思って見ると、さっきまで真琴が立っていたはずの場所に、小柄な女の子が頭から雪を被ってへたり込んでいた。
「ゆーいちーっ!」
「人の妹に……」
 そんな声が同時にしたかと思うと、
「覚悟っ!」
「なにするのよぉっ!」
「おわあっ!!」
 左右から、思いっきり雪玉が叩きつけられた。
 つ、冷てぇ……
「な、なにするんだよっ!」
「あははっ! 祐一、油断しすぎ〜」
 真琴が、笑いながら俺のほうに近寄ってくる。
 それを見てると、今度はいきなり首根っこを掴まれて、
「相沢君? 今のは何? え?」
 強引に振り向かされる。
 その表情は、まるで能面のように迫力が……
「……あの、むちゃくちゃ怖いんですけど、香里さん……」
「今、あの子に雪玉ぶつけたでしょっ!」
 俺の言葉、全然聞いちゃいねぇ!
「は、はいぃ」
「謝りなさいっ! 今すぐ謝りなさいっ! 全世界の人民が納得するまで、この雪が赤く染まるぐらい、額が擦り切れるぐらい土下座しなさいっ!」
「そ、そんなのできねぇよっ!」
「あなた、それでも男!? 女の子にひどいことしときながら、土下座もできないなんてっ!外道っ! 鬼畜っ! 変態っ!」
「ぐぇっ!!」
 香里の手が、俺の頸動脈を確実に捕らえた。
 チョ、チョーク……
「お姉ちゃん、やめてっ!」
「っ!」
 突然、香里の手の力が緩まったかと思うと、俺は重力に従って雪原に倒れ込んだ。
「ぐぅ……」
「栞、大丈夫っ!?」
「ゆーいち、大丈夫〜?」
 安否を気遣うにしちゃ、随分対応が違うな、オイ。
 ……って、栞?
 なんとか意識をしっかりさせて、俺は香里のほうを見た。
「私は大丈夫ですけど……」
 小柄な女の子が、俺のことをのぞき込む。
「大丈夫ですか?」
 ……あれ?
 大きなストールに、ショートヘア。
 この子、どこかで会ったような……
「ごめんなさい、祐一さん。お姉ちゃん、手加減知らないから……」
「だって、いきなり相沢君が栞に雪玉ぶつけるんだもの」
 お姉ちゃん……?
 それに、俺の名前を知ってるって……
「もしかして……」
「はい?」
「お前、栞か!?」
 俺がそう言うと、女の子は顔をほころばせて、
「はいっ、お久しぶりです」
 嬉しそうに、そう言った。
「久しぶりだな……ぐぇっ!!」
 キザっぽく微笑もうとした瞬間、またまた香里の腕が俺の首を捉えやがった。
「だーれーがー栞のこと呼び捨てにしていいって言ったかしらぁっ!?」
「ぎ、ギブアーーーップ!」
 俺、今度こそ死ぬかも……

 *

「ごめんね、相沢君」
 苦笑しながら、香里が頭を下げる。
「まあ、美坂も悪気があってやったってわけじゃないんだしさ」
 そして、北川がそれをフォローする。
「いや、別にいいけどよ……」
 まさか、栞がお前の妹だったなんてな」
 俺はそう言いながら、雪の中庭ではしゃいでいる真琴と栞を見た。
 初めて会ったばかりなはずなのに、二人ともまるで昔からの顔見知りみたいに無邪気に遊んでいる。
 天野はというと、二人のことを見守っているかのように、微笑みながら俺たちの近くにたたずんでいた。
「私にそっくりで、かわいい子でしょ」
「……ああ」
「……今の沈黙はいったい何?」
「いや、別に」
 思ったことを言ったら、絶対殺されるな。
「俺も栞とは会ったことがあったんだから、早く紹介してくれてもよかったのに」
「……そうね」
 また、苦笑する香里。
 北川は、そんな香里のことを心配そうに見ていた。
「あのね、相沢君」
「何だ?」
「昔話……少し、してもいい?」
「美坂」
 北川が制するように遮ったけど、香里はその手を除けて俺の事をじっと見た。
「ああ、別にいいけど」
 俺の言葉を待っていたかのように、香里が栞のほうに目を向ける。
 そして、ゆっくりと息を吐く。
「あるところに、二人の姉妹がいたわ」
 さっきまでとは違う、静かな……沈むような声。
「その二人は、まるで友達のように仲が良くて、ずっと一緒にいたの。
 そして、姉は高校に入り、妹も同じ高校に入った。でも、妹はほとんど学校に来ることが出来なかった。
 姉は、いつか妹が学校に来ることができる……そう信じてたわ。でも、妹の体調は全く良くならなかった。
 その上、医者からはある宣告をされたわ。
 ……妹は、重い病気にかかっていたのよ」
「重い……病気?」
 俺の問いに、香里がゆっくりと頷く。
「病名は、私にもわからないほど難しいもの……症例がほとんどないものだったわ。
 ただ一つだけわかっていたのは……妹の余命が、幾ばくもなかったっていうことだけ。医者には、次の誕生日まで生きられるかどうか……そう言われてね。
 だから、姉は決めたの。
 妹がいなくなる。その辛さを味わうぐらいなら……最初から、いなかったことにしようって」
「最初から……」
「ええ。姉は、妹の存在を『無かったもの』にしたのよ。
 病を抱えた妹が、姉にすがりつくのも構わずね」
 伏し目がちになり、息をつく香里。
「そして、妹は誕生日を迎えた。
 病院に入院して、幾度も危篤になったりしたわ。けど、そのたびに妹は意識を取り戻してみせた。
 どうして……って、考えてた、その時だった。
 姉は、親友から一つの出来事を聞いたの。
 何もかもを失っていく愛しい子の側で、消えるまでずっと付き添っていたってことを……」
 それって……俺のことか?
「消えるってわかっていても、その人はずっとそばにいたって……姉は、すぐに妹のことを見捨てようとしたのに。
 姉は、自分の行いを悔いたわ。たった一人の妹を、どうして忘れようとたんだろうって。
 私だって、あの子のことが愛しかったのに……」
 昔話として話していたはずの香里だったけど、いつしか自分のことに置き換えて話を進めていた。
「私は、とんでもない罪を犯したのよ。許されることなんて、絶対ないと思ってた。
 でもね、栞は私に抱きついて、こう言ったわ。
『おしゃべりしなくても、わたしのことを見てくれなくても、お姉ちゃんが側にいてくれるだけでうれしいんです。
 でも、お姉ちゃんともう一度おしゃべりできて……もっともっと、うれしいです』って。
 私も、とっても嬉しかった。でも、それ以上に、なんでこんな優しい子に酷い仕打ちをしたんだろうって思ったわ。
 だから、私は……栞に、償いをしようと決めたの」
「償い?」
「ええ。本当に元気になるまで精一杯、栞のために頑張ろうって」
 顔を上げた香里の表情は、決然としていた。
「今は元気だけど、それはだましだまし、強い薬で病気の進行を抑えてるだけ。いつ栞がまた容態を悪くするかわからないわ。だから……私が、栞の病気を治したいの」
「……そっか」
 だから、徹夜してまでも難関の医科大に受験しようとしてるのか……
「私が栞に出来そうなことは、それくらいしかないから」
 香里はまた、栞のほうに目を向けた。
 栞は、今香里が言ったことが嘘みたいに感じるほど元気にはしゃいでいる。
 だけど、確かに栞のそんなに良さそうじゃない顔色を見ると、香里の言葉には信憑性があった。
 じゃあ……
「もしかしてさ」
「うん?」
「北川、もしかして香里のことを追って医科大受験ってやつか?」
「なっ!?」
 あ、すっげー動揺。
「い、いや、俺はただ、栞ちゃんのことを助けようとしている美坂の手助けができればって思っただけでっ!」
 図星じゃんか。
「北川君も北川君なりに、いろいろ相談に乗ってくれたのよ。そうしたら、私の手伝いをしてくれるって言ってくれて……私も、無謀だとは思ったんだけどね」
 あきれ顔の香里に、顔を真っ赤にしてる北川。
 尻敷かれるの、見え見えだな。
「でも、北川君と相沢君には、本当感謝してるわ。それに、真琴ちゃんにも」
「真琴に?」
「ええ」
 香里が、笑顔で真琴のことを見やった。
「栞がね、私たち家族や北川君以外に、笑顔を見せてくれたのが久々だったから。
 それ以前に、初めて会った子とあんなに馴染んでるなんて、初めてよ」
「それは、真琴も同じだぞ」
「えっ?」
「香里も知ってるだろ? 真琴の人見知りのひどさ」
 香里がうちに遊びに来ていた時、真琴最初のうち、俺や名雪の後ろに隠れてびくびくしてた。
 まあ、肉まんあげたりしたら懐いてくれたけどな。
「そういえば、そうね」
「天野にだって、最初はそうだったんだぜ。だから……俺も、びっくりしてる」
 それと同時に、俺はとっても嬉しかった。
 真琴が初めて、初対面の誰かと自分から進んで遊んでいるんだから。
「そんなに、びっくりすることではないと思いますよ」
「ん?」
 見ると、天野が俺たちのほうに近づいてきていた。
「真琴も、それだけ成長しているということです」
「……そうだな」
「そういえば、どうしてお前ら栞と遊んでたんだ?」
「私たちが中庭に来たら、ちょうど美坂さんも先輩と待ち合わせをしていたようで。それで、栞さんにアイスクリームを勧められて」
「おいおい」
「……あの子らしいわ」
 口々に、そんな感想を漏らす。
「それで、みんなでアイスクリームを食べて、おしゃべりして。そうしたら、真琴が雪合戦をしようって言い出したんです」
「雪合戦、ねぇ」
 確かに、二人は雪合戦をしてるけど……今はただ、雪のかけ合いっこをしてるようにしか見えないぞ。
「相沢さんたちが来たのがわからないほど、楽しんでましたよ。二人とも」
「そうみたいね……」
 そう言った香里の顔が、ふっとほころんだ。
 そして、ゆっくりと天野のほうを向く。
「天野さん」
「……何でしょう?」
「栞のこと……お願いできないかしら」
「えっ?」
「私も北川君も、そして相沢君も、この春でこの学校を卒業するわ。先輩として支えてあげられる人は、誰もいなくなっちゃう。
 こんなことお願いするのは、失礼かもしれないけど……栞のこと、見守って欲しいの」
「……私で、いいんですか?」
 一瞬、戸惑った表情を見せた天野。
 でも、すぐにいつもの表情に戻って、香里に問い返した。
「天野さんだから、お願いしたいの。
 あなただったら栞と同じ年齢だし……それに、真琴ちゃんを見ているときのあなたの優しい目を見てると、安心して任せられそうだから」
 確かに、俺も香里の言うとおりだと思った。
 だからこそ、俺は天野を真琴と引き合わせたんだ。
「天野、俺からも頼む」
 俺は、天野に軽く頭を下げた。
「俺からも頼むよ、天野さん」
 それから、北川も。
「……ご迷惑、おかけするかもしれませんが」
「大丈夫よ天野さん。あなただったら、北川君や相沢君よりも安心して任せられそうだから」
「み、美坂っ!」
「こらこらこらこらっ!」
「冗談よ」
「って、んなこと冗談でも言うなっ!」
 まったく……男のプライドが傷つくぞ。
「では……私でよければ」
「ありがとう、天野さんっ!」
 天野がそう言ったとたん、香里は嬉しそうに天野の手を取った。
「は、はいっ」
 当の天野もちょっと戸惑ってるみたいだけど、なんだか嬉しそうに見える。
「これで、あたしも安心して卒業できるわ」
「よかったな、美坂」
「うんっ」
 とびっきりの笑顔でうなずきあう、香里と北川。
 もしかしたら、俺が香里のこういう笑顔を見たのって初めてかもしれないな。
「ゆーいちーっ!」
「ん?」
 声がしたほうを向くと、真琴と栞が手を振りながらこっちにやってきた。
「どうした?」
「栞がねっ、雪だるまをつくろーだって!」
「雪だるまか?」
「みんなで、すごい大きい雪だるまを作るんですっ」
「いいわね、雪だるま」
 嬉しそうにジェスチャーする栞に、香里が優しく笑いかける。
「約束、したものね……」
 そして、香里は栞の手を取って立ち上がった。
「行きましょうか」
「はいっ!」
 二人は笑いながら、雪が積もっている中庭の中心部のほうへと歩き始めた。
 本当に仲のいい姉妹だったんだな、あの二人は。
「相沢、俺たちも行こうぜ」
「そうだな。行くぞっ、真琴、天野」
「うんっ!」
「わかりました」
 俺たちも、香里のあとについて歩き始めた。
 どうやら、とってもにぎやかな日になりそうだ。

 *

「雪、強くなってきたわね」
 香里が、傘の中から手をかざす。
 空には低い雲が立ちこめ、空の色もだんだん暗くなっていた。
「もうちょっと、大きい雪だるまを作っていたかったです」
 残念そうに、姉の顔を見あげる栞。
「でも、風邪を引いたらいけないからね」
「ぷぅ……でも、北川さんの言うとおりですね」
 頬を膨らませた栞だったけど、すぐに笑顔に戻って北川と香里に微笑みかけた。
 うーん、なんて妹チック。
「また、作ろーねっ!」
「はいですっ、真琴さん!」
 それに、真琴ともとっても馴染んでる。
 マスコットというか、なんというか……うむ、かわいい。
「何を笑ってるんですか? 相沢さん」
 俺の思考を遮って、天野が話しかけてくる。
「いやさ、みんな仲がいいなぁって思ってな」
「そうですね……本当に」
 相変わらず、微笑んでる天野。
「天野は、楽しかったか?」
「はい、楽しかったです」
 あまり間を置かずに答える天野。
 こういうときの天野の言葉は、本当に楽しんでる証拠だ。
「相沢さんは、どうです?」
「俺だって、楽しかったぞ」
 俺は、そう言っておどけてみせた。
 いつもだったら、なんとなく終わろうとしていた冬休み。
 でも、今年は全く違う。
 たくさんの友達といっしょにいることができて、思いがけない再会もできた。
 それに……今は大好きなやつがいる。
 俺を慕っている、大好きな真琴が。
「これも、真琴のおかげかな」
「そうかもしれません」
 はしゃいでる真琴の後ろ姿を見ながら、俺たちは笑った。
「私、思ったんですけど」
「何だ?」
「真琴は、人を惹きつける性格なのかもしれませんね」
「そう……かもな」
 ちょっと考えて、すぐに俺はうなずく。
 俺だってなんだかんだあってあいつに惹かれてたし、天野も、そして秋子さんたちも、真琴に馴染んでる。
「あとはこれで、極度の人見知りが無くなればいいんだけどな」
「あの子だったら、きっと大丈夫ですよ」
「そうか?」
「ええ、きっと」
 確信を込めて言う天野。
 天野も、帰ってきた真琴と接するようになってからポジティブな性格になってきた。
 だからこそ、そう言えるんだろう。
「ところで、本当にいいんですか?」
「えっ?」
「いえ、水瀬先輩のお宅にお邪魔しても……」
「ああ、別にいいんだよ。秋子さんが呼べって言ったんだしさ」
 帰り際、俺が家に電話したとき、
『皆さんの分の料理も用意しますから、是非とも呼んでください』
 秋子さんが速攻でそんなことを言ったもんだから、俺はみんなを家に呼ぶことにした。
 一人でも多く食卓を囲んでるほうが、にぎやかで楽しいしな。
「それよりも天野、家のほうは大丈夫なのか?」
「はい、ちゃんと母に連絡しておきましたから」
「そっか。なら、大丈夫だな」
「はい」
「ねー、ゆーいちっ」
「おわっ!」
 いきなり、真琴が俺の腕にぶらさがってくる。
「な、なんだよ、真琴」
「今日は、いっぱいごちそうがあるのかな?」
「ごちそうか? そうだな……秋子さんのことだから、いろいろ用意してるのかもな」
 普段の日でも豪勢だけど、何か記念の日があると秋子さんと名雪はさらに色々な料理を作ったりする。
 真琴が水瀬家に帰ってきた日なんて、肉まん五十個をはじめとした満漢全席だったからなぁ……本当に、あの二人の料理技能は謎だ。
「わぁいっ! みんなで、いっしょに食べよーねっ」
「ああ、たくさん食べような」
「うんっ」
 笑顔で、真琴がうなずく。
 俺が、大好きな笑顔。
「さ、家に帰るぞ」
 そんな真琴の頬を、俺はそっとなでた。
「うんっ」
 そして、真琴が俺のもう片方の手を握った。
 冷たい空気に触れていたせいか、ちょっと冷たいけど……でも、すぐに温もりが湧いてくる。
 そんなささやかな温もりを、俺は大事にしていたかった。

「おかえりっ、みんな」
 玄関の扉を開けると、リビングのほうからぱたぱたと名雪が駆け寄ってきた。
「ただいまーっ!」
「ただいまっ」
「おじゃまします」
「失礼します」
 騒々しく言いながら、みんなが玄関から上がる。
 なんだか、一気に廊下が狭くなった気がするな……
「で、用意のほうは?」
「もう、ちゃんとできてるよ」
「そっか、サンキュ」
 にっこりと笑う名雪に、俺もにこっと笑って見せた。
 ……と、また真琴が俺の手をぐいぐいと引っ張ってきた。
「ゆーいちっ、早く行こっ!」
「こらこらっ、そんなにあわてるんじゃないっ」
「あうーっ!」
「あははっ」
「うん?」
 笑い声がしたほうを向くと、栞がなんだかおかしそうに俺たちのことを見ていた。
「なんだよ、栞」
「いえ。なんだか、すっごく仲が良さそうで、いいなぁと」
「そ、そうか」
「わたし、祐一さんと真琴さんみたいなカップルにあこがれてるんですよ」
「なっ!?」
 突然の栞の言葉に、俺は真琴のことを引き寄せた。
「おいっ、栞には俺たちの関係のこと、何てしゃべったんだよっ!」
「あう、恋人って言っただけだけど?」
「……はぁ」
 なんて素直すぎるやつなんだ、こいつは……
「しょうがねぇなぁ」
「あう」
 ぽんっと、真琴の頭を軽く叩いてみんなのほうを向き直る。
「よーく、わかったわ」
「なるほどな」
 うんうんとうなずく、香里に北川。
「おい待てっ!」
「いいじゃない、素敵な恋人で」
「ああ、いい夫婦じゃないか」
 そこまで発展するか、おい。
「あこがれちゃいますよね〜」
「そうですね」
 栞と天野までそう言うかよ。
 ……ここは、ごまかすか。
「お、おい、とっとと行くぞっ。せっかくの料理が冷めちまうからな」
 俺はみんなを置いて、真琴と一緒にリビングのほうに向かった。
「あ、待ってよ祐一」
 のんびりと言う名雪の横を通り抜けて、俺たちはドアを開けた。
「…………」
「……わぁ」
 沈黙する俺に、感嘆の声を上げる真琴。
 リビングの光景は、ついさっきまでの想像を絶するものだった。
「……すごいわね」
「すごいな……」
 リビングにまで飛び出している大きなテーブルに、フライドチキンやフライドポテト、たぶん秋子さんお手製の骨付きソーセージ、お寿司とかのパーティーメニューが乗っかった大皿が並べられている。
「わっ」
「これはまた……」
 さらに、秋子さんお手製のイチゴやオレンジ、りんごのジュースまである。
 極めつけは、その中央に据えられた巨大なケーキ……あ、やっぱり肉まんの大皿もあったな。
「俺がこの街に帰ってきた記念日ってことだけで、よくここまで……」
「どう? 祐一」
 一番最後に入ってきた名雪が、俺の横に立って笑った。
「こんなに多く作って、疲れなかったか?」
「大丈夫だよー。あっ、ケーキはわたしが作ったんだよ」
「えっ?」
 この、肩幅よりも大きいケーキをか……?
「……マジ?」
「ちょっと苦労したけどね」
 ほわほわとした笑顔のせいか、全然そうは見えないけど……でも、やっぱり凄い。
 っていうか、水瀬家にはこんなデカいスポンジが焼けるオーブンがあったのか。
「そっか」
「皆さん、いらっしゃい」
 秋子さんが、エプロンを外しながら俺たちのほうにやってきた。
「おじゃましてます」
「秋子さん、こんばんは」
 やってきた秋子さんに、みんながお辞儀する。
 俺も軽く頭を下げて、礼を言うことにした。
「すいません秋子さん、わざわざこんなに作ってもらって」
「あら、いいのよ。今日は家族が増えた記念日ですし、それに……」
「それに?」
 俺の問いかけに、しばし黙り込む秋子さん。
 でも、にっこり笑って人差し指を立てると、
「それは、後のお楽しみです。
 さあ、皆さん座ってください。もう準備はできてますよ」
 そう言って、みんなに席をすすめた。
「はぁいっ」
 真っ先に、真琴が近くの席に座ろうとする。
「あら、真琴はそこの席じゃないわよ」
「えっ?」
「真琴は、ここ」
 秋子さんは、テーブルの端にある二つの席のうちの一つを軽く引いて、にっこり笑った。
「はーいっ」
 元気良く返事すると、真琴はとてとてとその席に走っていく。
 そして、秋子さんがその隣の椅子を引く。
「祐一さんは、ここですよ」
「あ、はい」
 俺も秋子さんがすすめた席につくと、あとのみんなも適当に座っていった。
 ちなみに、俺が座ってるほう――左側には、北川と香里、そして栞が。そして、真琴が座ってるほう――右側には、天野と秋子さん、そして名雪が座っている。
「それでは」
「うんっ」
 秋子さんと名雪が、それぞれクラッカーを手にして立ち上がる。
「皆さん、今日は祐一さん引っ越し一周年記念パーティーにお集まりいただきありがとうございます。
 祐一さんが来て、そして真琴が私たちの家族になって……我が家もますますにぎやかになりました。
 これからも我が家がにぎやかであるように、それから、祐一さんをはじめ、みなさんが元気であるように」
「それと――」
 名雪はそう言うと、笑顔のまま真琴のほうに近づいていった。
「な、なに?」
「真琴っ、誕生日おめでとう!」
「えっ!?」
 真琴が驚きの声を上げたのと同時に、名雪と秋子さんのクラッカーが大きな音を立ててはぜた。
 俺と真琴はただ、呆然と降り注いでくる紙吹雪を体に受けることしかできなかった……
「……あ、あの、秋子さん?」
「何でしょう」
「今日が真琴の誕生日って……」
「それはですね」
 俺の問いに、秋子さんがまたにこっと笑いながら口を開いた。
「真琴は、記憶を失ってから祐一さんをずっと追っていたんでしょ?」
 事情を知らない栞がいるからか、秋子さんは言葉を選んでいるようにしゃべっている。
「う、うん」
「だったら、その祐一さんがこの街にやってきた日が誕生日というのはどうかなって思ったの」
「あっ」
 そうか……真琴が人間になろうとしたのは、俺がこの街に来たからなんだよな。
「真琴、誕生日おめでとう」
「え、えっ??」
 俺からも言われて、もっと戸惑う真琴。
「そんなにびっくりするなよ、真琴。それとも、誕生日は別の日がいいのか?」
「……本当に、今日でいいの?」
「だって、お前もこの家に来て一年だからな。誕生日がなきゃおかしいだろ?」
「真琴の誕生日だって、祝ってあげたいよ〜」
 口々に言われてあたふたしていた真琴だったけど、焦っていたその表情はやがて嬉しいものに変わっていった。
「本当に、本当に今日が真琴の誕生日なんだねっ?」
「ああ、そうだ」
「わあいっ!」
「うわぁ!?」
 いきなり、真琴が俺に抱きついて頬をすり寄せてきた。
「お、おい真琴っ!」
「誕生日っ、誕生日っ」
 嬉しそうにはしゃぐ真琴を、俺はそれ以上止める気にはなれなかった。
 こんなに喜んでくれるなんて、思ってなかったから。
「秋子さん、名雪。本当に……ありがとう」
 俺は、心からそう言って深々と礼をした。
「一つでも、記念日が多くてもいいものね」
「祐一も真琴も、おめでとうっ」
 笑顔で、そう言ってくれる二人。
 他のみんなも、にこやかに俺たちのことを見てくれていた。
「相沢さん、真琴。おめでとうございます」
「二人とも、おめでとうっ」
「相沢も沢渡さんも、おめでとう」
「おめでとうごさいますっ」
 口々に言って、みんなが拍手で俺たちのことを祝ってくれている。
 それが、すごく嬉しくて……
「よかったな、真琴っ!」
「うんっ!」
 俺は、真琴のことを思いっきり抱きしめた。

 いろいろなことがあった一年。
 騒々しく真琴がやってきて、いがみ合いながら生活して、でも、わかりあえた矢先に消えてしまって、その辛さに耐えて……そして、俺たちのところに帰ってきた。
 思えば、真琴にいろいろ振り回されてきた一年だったよな。
 でもな、真琴。
 そのおかげで今、俺たちはこうやって笑顔でいられてる。
 大切な家族や、出会えた親友……みんなに囲まれて、幸せでいられてる。
 本当に、楽しい一年だった。
 だから……これからも、たくさん楽しい想い出を作ろうな。
 もっともっと楽しい想い出を作って、もっと笑顔でいよう。
 それが、俺たちの一番の幸せだから。

「なあ、真琴」
「なにっ?」
「誕生日プレゼントは、まだないけど……」
 そう言ってて、真琴のおでこにそっと口づける。
「わっ」
「あらあら」
 みんなが恥ずかしそうに見ている中、真琴は俺のことを見あげて目を潤ませていた。
「ゆーいち……だーいすきっ!」
 そして、俺のことをぎゅっと抱きしめる。
 その温もりが、とっても嬉しかった。
 俺への、プレゼントみたいで……

 


 これからも、ずっと、もっと……
 みんなで、たくさん思い出作っていこうな。




 

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