▼ 2008/09/02(火) コミケであったあんなこと、こんなこと。
まず最初に、私事関係でまだ創作関係はお休み中です。先日のコミケ欠席などの件では、関係各所に迷惑をかけてしまい大変申し訳ありませんでした。
さて本題。先日ワープロ機「書院」のフロッピーなどを整理していたら、以前参加したコミケの記録などを発見。その中からいくつかをピックアップしたり、また近年の出来事などを追加して、これまでのコミケでどんなことがあったのかなどを書き残しておくことにしました。
一応書いておきますが、今回は軽めの記事です。お気楽にどうぞ。
<第2次晴海会場時代>
自分が見てきたのはコミケのほんの一部ではありますが、こうして書きつづってみると色々なことがあったんだなぁと今更ながら思います。コミケや即売会に参加する際、ただ本を購入するだけではなくこういった出来事や出会いなどを楽しんでみてはいかがでしょうか? きっと、同人活動のいい思い出になっていくはずですから。
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さて本題。先日ワープロ機「書院」のフロッピーなどを整理していたら、以前参加したコミケの記録などを発見。その中からいくつかをピックアップしたり、また近年の出来事などを追加して、これまでのコミケでどんなことがあったのかなどを書き残しておくことにしました。
一応書いておきますが、今回は軽めの記事です。お気楽にどうぞ。
<第2次晴海会場時代>
- 初参加(89年)当時はPC雑誌「ログイン」などの簡素な紹介を見て行ったため、交通網がよくわからず東銀座駅から徒歩1時間ぐらいで会場に到着。
晴海会場は交通手段がバスしかなく、近隣の駅からも徒歩30分以上あるというある種過酷な場所でした。 - 89年当時は2日間10000スペース。今が3日間約35000スペースなので当時から約3.5倍に成長。
全館使用というわけではなくちょっとだけコンパクトでした。 - カタログも今のような凶悪的な厚さではなく少し厚めぐらいの冊子。
だいたい今の冊子版カタログの1/3以下ぐらい。それでも当時は重かったです。 - 当時の人気ジャンルはアニメ・マンガ。
ゲームはまだコンシューマーが発達期で、どちらかというとPC系のほうが活気があったような。
- 会場が最寄り駅から近くなったものの、交通機関が二極集中化したことで大混雑に。
当時のJR京葉線は運転本数があまり多くなく、海浜幕張駅・総武線の幕張本郷駅の2箇所のみが交通の要所だったため混雑に拍車がかかっていました。 - 会場が単体化したことで移動が楽に。
晴海時代はいちいち屋外に出て移動する必要があって、特に夏場は地獄でした。 - しかし、別イベントが併せて開催されていたため、さらに混乱に拍車が。
恐竜博や現代美術展などなど。余談ですが当時小学生だったため、そっちに誘導されそうに…… - 宗教関係とイベントがカチ合っていたというあやふやな記憶が……
詳しくは覚えていませんが、イベントホールで集会があったような気が。 - ワタル、グランゾート、サムライトルーパーなどが大盛況。
特にトルーパーはコミケ内で一大勢力のジャンルに。*1この後もこの系列ではサイバーフォーミュラや勇者シリーズ、ガンダムシリーズなど現在でも同人において人気を誇っています。
- 東京、錦糸町、有楽町などの駅から晴海会場への臨時バスが運行されていた。
「急行 晴海会場」と書かれた方向幕は壮観。 - 混雑に嫌気が差した場合は石川島播磨重工前まで歩けば普通に路線バスで帰れた。
その際の勝鬨橋でのお約束「バスが通り過ぎたら橋からも車内からも手を振る」。 - 臨時バスで会場入りする際、何故か各方面から贈られた花輪(葬祭用両方)が入口付近に並べてあった。
コレは今でもナゾ。何のためにこの花輪を飾っていたんだか……いや、壮観でしたけどね? - 冬コミ恒例・待機列から見える新春『出初め式用櫓』。
晴海会場の待機列(=駐車場)では、毎年新年に東京消防庁による出初め式が行われていて冬コミ頃には既にその準備がされていました。 - カタログを掲げて、カタログのチェックポイント・C館ゲートを疾走していく人たち。
当時、C館は待機列兼入場ゲートとして機能していました。そしてお決まりの「走らないでくださーい!」が館内でこだま……一部には言われてスキップに切り替えたという話もMR(まんがレポート)に。 - 92年夏、猛暑と人々の熱気により新館では救護室に搬送される人が大量発生。
当時の新館は人気アニメ系ジャンルが一同に会していたため、猛暑と併せてとんでもない熱気になっていました。 - そして同年、東京直撃コースをたどっていた台風11号を海上で止め、さらに進路を西へとひん曲げる。
http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/summary/wnp/s/199211.html.ja よく見ると東京湾南海上でスピードが落ちている…… - コミケ名物・軽妙なジョークを飛ばすトーケイの警備員さん。
「階段を走らないでください! 落ちたら誰かとぶつかって記憶が入れ替わりますよ!」
「今日私は買いたい本があります。でも一日中勤務です。みなさん僕の分まで『安全に』(強調)本を購入してください!」
などなど、ウイットなジョークで楽しませてくれました。有明移転の直前に解散したのが残念。 - 93年夏、雨が降りしきる都内の中で、コミケ会場上空"だけ"が晴れる。
この年ははタイ米輸入など天候不順だった年で、当日も雨予報。しかし1日目は上空だけぽっかり青空が出ていて、まわりは曇りで霞んでいたという、ある種コミケにおける天候伝説の極地でした。 - 晴海名物・松本楼のカレーと日東紅茶の紅茶ソフトクリーム。
晴海に来たらマツモトロー。しかしお休みだったり売り切れだったりとほとんどありつけず……夏場は紅茶ソフトクリームが楽しみでした。噂ではレモンティーシャーベットもあったとか? その後、近年まで有明でも東西通路下のレストランで「紅茶アイス」が楽しめました。 - 同人ソフト・音楽におけるPC-88のサウンドボードII最強伝説到来。
当時、まだMIDI機器は高価で、マシンに標準搭載されていた音源でどれだけ音を作り込み、打ち込めるかなどが流行していました。サウンドボードIIは特に「ステレオFM音源6音 + リズム6音 + SSG3音 + ADPCM音源1音」と表現の幅が広く、同人音楽制作者に特に好まれたものです。どういう音なのかは「世界樹の迷宮」でもお馴染みかと。*2 - 同人スライドショー上映会を企画したサークルなども存在。
「魔神英雄伝ワタル」の外伝ドラマCD「虎王夢伝説」を同人作家さんがスライド化してCDと併映というもの。コミケでは宣伝チラシを配布し数日後に上映となっていました。 - コミケの徒花・下ネタアホネタなんでもござれの「いかさまスポーツ」(準備会制作)。
「脇の下がスパイシー」「アネキィィィィ!!」*3ステッカーとか濃いネタを掲載。そしていきなりの廃刊。 - ブロックノート*4の内容を紹介するコーナー「ブロックノートセレクション」がカタログでは名物に。しかしサークル間でのトラブルがあり惜しまれつつ終了。
毎回楽しみだったのですが、ブロックノート自体が無くなったことでもう見られることは無いんでしょうね。ブロックノートはサークル間のいいコミュニケーションになっていたと思います。 - たつねこ氏の挿絵によるファッション関係のコーナーなどもカタログでは恒例に。
他にも「アニメアメリカ」などの海外イベントのレポートやF1風パロディネタなど、当時から読み物的記事がカタログにはよく収録されていました。 - コミケカタログでお馴染み・Dr.モロー氏が偽"フットワーク"*5袋・段ボールというとんでもないものを出す。
「重い荷物はもうイヤだ!」と赤い犬が涙目になっていたのがとてつもないインパクトでしたが、かなりの人気で購入することが出来ず……あの紙袋は欲しかった! - 「S田A美(編注:仮名)のセーラームーン」
購入しようと並ぶも、こっちも逃す。その後コミケットサービスにて見かけましたが、やはり凄い作品だった……その後担当に怒られて同人活動を終えたとか。 - その他にもド●え●んスクリーントーンとか、今となっては
無謀勇気があるとしか思えないジョーク作品も頒布されていた。
もちろん画のタッチは自己流。有明初期までよく参加されていました。
- 移転の大混乱をものともしない猛者・都バス。
一番バスは朝5時50分頃出発、6時10分頃到着。移転当初からしばらくは一番手間がかからず安全に到着する手段として好まれていました。 - 新木場駅も国際展示場駅もさながらレミングス。
当時のりんかい線は4両編成。そこへ有楽町線10両・京葉線8両から人がひっきりなしに降りてくるのに際限なく人を入れるから、とにかく詰まる詰まる。ちなみにパスネット・Suicaが導入される前は、JTBで事前に乗車券を購入しておくと窓口側から簡単に通過できるという裏技が存在してました。 - ゆりかもめは国際展示場正門駅じゃなく有明駅なら座って帰れた。
少し遠回りでしたが。移転数年後までは新木場・新橋からしか電車でのアプローチ方法が無く、参加者は散々苦労していました…… - コミケ51・1日目の午前6時、都バス内のそこかしこから漏れ聞こえ始めるガンダムXのOPテーマ。そして北1駐車場の待機列で漏れ聞こえるEDテーマ。
当時、東京では「ガンダムX」が午前6時に時間枠移動していてこの日が最終回。しかも1日目はアニメ系だったため、TV音声が受信可能なラジオで聴いていた人がちらほらといたようです。 - そしていつかのコミケの前日設営で、会場内でかすかに漏れ聞こえる「勇者指令ダグオン」のOPテーマ。
誰ですか携帯テレビ(notケータイのテレビ)を持ち込んだのは。 - 移転当初の北1駐車場待機列はほとんど何もなく、トイレも少なめで地獄。
その後ケータリングカー来訪とか仮設トイレ倍増とかである程度は緩和。 - コミケ史上最凶・島中Kanon地獄。
コミケ申込(99年2月)→Kanon発売(6月)・大人気に→カタログで大量のKanonサークルの存在が発覚(7月)→当日、島中が動脈硬化状態で大混乱に(8月)。その後、オンリーイベント(「Eternal Kanon」など)でも同様の混雑が発生しました。 - M-1グランプリ*6の敗者復活戦が国際展示場駅のド真ん前で開催されていて、帰りはかなりの混雑に。当初は問題だったものの、混雑以外特に目立ったトラブルは発生しませんでした。今だったらはりけ〜んず*7の司会進行とか映えるだろうなあとか思ったり。
- かつて隆盛を誇ったジャンルがどんどん縮小していく……
グランゾートとかラムネ&40とか勇者シリーズとかるろ剣とか。一部はもう数えるほどしか無かったり。 - その一方、今でもどっこい活動してるジャンルも。
ワタルとかママ4とかトルーパーとか幽白とか。ママ4はあもい潤さんが現在も同人誌を描かれていますね。ワタルもオンリージャンルがほぼ定期的に開催されたりしていて盛況。 - 2004年冬、とんでもない豪雪の中の行軍。
そりゃもう交通網とかも大混乱ですよ。晴海時代の驚異的な天候は2000年代に入ってから翳りを見せていました。
自分が見てきたのはコミケのほんの一部ではありますが、こうして書きつづってみると色々なことがあったんだなぁと今更ながら思います。コミケや即売会に参加する際、ただ本を購入するだけではなくこういった出来事や出会いなどを楽しんでみてはいかがでしょうか? きっと、同人活動のいい思い出になっていくはずですから。
<関連記事>
- 二十年ひと昔 (コミケで出会った様々なジャンルの同人誌をちょこっと紹介しています)
*1 : 余談ながら、晴海時代にはワタル・グランジャンルで愁☆一樹氏、天野梢(現・天野こずえ)氏、夢来鳥ねむ氏、宇夢和実(現・梅川和実)氏など、各所で人気を博した漫画家さんが活躍されていました。
*2 : 「世界樹の迷宮」の音楽担当・古代祐三氏も以前はコミケなどにちょくちょく出ていて「ワンダラーズ・フロム・スーパースキーム」という「イースIII」のパロディゲームでも音楽をこっそり担当していました。
*3 : 当時「ウゴウゴルーガ」という番組で「あにき」というネタが流行していました。http://members.at.infoseek.co.jp/scorpion_xt/flash/aniki.html
*4 : A、B、Cといったブロックごとに自由記載が可能なノート「ブロックノート」が回されていて、連想ゲームやら伝言板などその時々によって色々な内容が書かれていました。2000年頃に事情により休止。
*5 : 赤い犬のマークでお馴染みだった運送会社「フットワーク」。経営危機により2000年でコミケでの運送業務から撤退。
*6 : 朝日放送系列の漫才賞レース番組
*7 : ヲタネタ大好きの漫才コンビ。関東では「やりすぎコージー」などで披露されている。
*8 : ずいぶん古いネタですが……

# じょり 2008年09月03日(水) 午後10時15分
晴海であんなに発揮していた「天候を操る力」は
有明になってからだいぶ能力値が落ちましたよね。
自分は買い手側なのでフットワークに並んでる間の
伝説もあこがれでした。
犬のお兄さん達はスゴイらしい……。
# zonko 2008年09月03日(水) 午後11時13分
コミケの花輪ですが、さよならコミケの時の数はずいぶん多かったですね。あの頃、ちょっとした流行りがあって、イベントに花輪を贈るというのが盛り上がったことがありました。でも、片付けるのに手間がかかるし、最終的に大量のゴミになるので、次第に自主規制されるようになっていきました。
きっかけは、大阪の某オンリーイベントの際に、開店祝いのノリで贈られたものが、次第に広がっていったものと記憶しています。
# mizuki 2008年09月08日(月) 午後11時10分
1999年夏コミ2日目(8月12日)のことはいまでもよく
覚えています.
入場待ち行列を容赦なく台風が襲い,阿鼻叫喚の地獄でした.
・・・あれがきっかけでうっかり「目覚めた」のがわたし.