海の上のピアニスト
- Legend of 1900 -

 親に頼まれて「X−MEN」のビデオを借りに行ったついでに、「海の上のピアニスト」(原題「Legend of 1900」 ジュゼッペ・トルナトーレ監督)をレンタルしてきました。
 ウチはこういった音楽物の映画が大好きで、今までにも「陽の当たる教室」「ザ・ブラス」「ミュージック・オブ・ハート」と見てきましたが、今回はかの名作「ニュー・シネマ・パラダイス」を作った監督と作曲家の作品だということで、期待しながら借りてきました。

 舞台は、一人の男がトランペットを質に入れるところから始まります。
 欧米の往復定期船でトランペットを吹いていたその男・トゥーニーは、最後にそのトランペットを吹きたいと店主に言い、ある曲を吹きます。店主はそれを聴いた途端、店の奥から一枚のレコードを取り出し「この曲と同じ曲じゃないか?」と聞きますが、男は「曲名はない」「少数の者しか聞いていない曲だ」と言い、演奏者に関しても「言っても知らない」「この世に存在しなかったピアニストだ」と告げ、「私だけの秘密だ」と言いながら、昔を振り返ります。
 1900年、ダニーという男が船内のピアノの上で「T.D.レモン」と書かれた揺りかごを見つけます。そこには男の子が入れられていて、ダニーはその子に「ダニー・ブートマン・T.D.レモン・ナインティーン・ハンドレッド」と名付け、船底でひっそりと育てていきました。
 しかし、ダニーは難破の際の事故で頭を強打し死亡。彼の葬儀の際に流れていたレクイエムに振り返ったレモンに、日本人の女性が「『Ongaku(音楽)』...Music」と教えます。当時、レモンは8歳。既に欧米両大陸を50回以上往復していた頃でした。
 レモンは陸に上がることなく、ずっと船の名で生活していきます。国籍も、家族も、誕生日もなく、法的には「生まれたことにすらなっていない子供」だったのです。
 ある時、船員の一人が船長を起こしにやってきます。そして、乗客と同じようにピアノの置かれたホールへ。するとそこでは、レモンが楽譜も見ずにピアノを弾いていました。ある客は尋ねます。「あの子は誰?」「この曲は何?」と。そして船長はそれに「1900(ナインティーンハンドレッド)」と答えたのです。
 それが『海の上のピアニスト』――ナインティーン・ハンドレッドの誕生でした。

 物語のあらましは、こういった感じです。
 ナインティーン・ハンドレッドの活躍を追っていたトゥーニーが船を下りてから数年後、彼のことを回想する形で物語が進んでいくのですが、その回想が大きい世界でのことではなく、船の上という限られた小さな世界だけでされていたというのがとてもよかったと思います。
 そんな中で印象に残っていたのは、ナインティーン・ハンドレッドと、ジェリー・ロールのピアノでの決闘。正統派ジャズを弾くジェリーに対して、「きよしこの夜」「もろびとこぞりて」といった賛美歌で紛らわし、2回目の演奏ではジェリーの真似をしていたナインティーン・ハンドレッド。しかし、3回目では「後悔させてやる」と言い、自分の持っている超絶技巧をジェリーに見せつけ、さらにはピアノの糸とハンマーの摩擦で煙草に火をつけてしまうという離れ業を見せてしまう――このシーンには脱帽というか、思わず口をぽかんと開けて画面に見入ってしまいました。
 そして、もう一つ。ナインティーン・ハンドレッドが、たった一度だけレコードに録音したシーン。楽譜も見ずにピアノを弾いていたナインティーン・ハンドレッドを、船外から一人の女性が見つめていたシーン。その時にナインティーン・ハンドレッドが弾いていたピアノは、彼女がゆっくりと甲板をまわるのを追っていた心情を表しているように、時に大胆に、時に繊細に弾かれていて、映像とともに心にじわっと響いてきました。
「ニュー・シネマ・パラダイス」のときも、繊細かつ大胆な手法を用いてきたジュゼッペ・トルナトーレ監督でしたが、これにはウチも「やられた」と思ってしまいました。あまりにも楽しく、そして美しいのですから。

 音楽も、「さすがエンリオ・モリコーネ」といったところでしょうか。今でもJT(たばこ)のCM曲としてなど良く使われている「初恋」(ニュー・シネマ・パラダイスの主題曲)の作者だけあって、暖かみのある音楽はお手の物なようです。
 アメリカの舞曲であるラグや、ガーシュイン風のゆったりした曲、また人が唄っていたのを真似たイタリアの舞曲・タランテラなどを自分なりの手法で書いていき、映画の中に楽しい雰囲気を、そして美しい雰囲気を作り出してくれます。
 実は、ナインティーン・ハンドレッドがたった一度だけ船から下りようとするシーンがあるのですが、その時に流れていた曲のフルートとハープの音色に、思わずジーンとしてしまいました。タラップを下りる途中、いつもと違った視線でニューヨークの街を見下ろすナインティーン・ハンドレッド。その街は、彼にとってあまりにも大きすぎた――それを表現した音楽だったと思います。

 そして、ラストシーン。
 既に朽ち荒れ、水漏れしている船内に響く、唯一残っていたナインティーン・ハンドレッドのレコードの音色。一人、寂しそうにたたずむトゥーニー。そして、一人船内に残っていたナインティーンハンドレッド。
 そこで語られた「ナインティーン・ハンドレッドにとっての『世界』」。
 ちっぽけな船と、大きな陸という世界。
 彼にとっての世界は、ずっと生まれ育ってきた「船」でしかなかったのです。
 彼は船に生き、船とともに……

 トゥーニーは、様々な人にナインティーンハンドレッドの話をしていきます。
 しかし、彼の話を信じる者は少なく、それが作り話なのか、それとも本当の話なのかもわかりません。でも、その話を聞いたことによって、人々は心が癒さていくのです。ナインティーン・ハンドレッドの、優しく、繊細な音楽を聴いたように。

 この話は、暖かく、そして優しいファンタジーです。
 悲しくもあるのですが、ナインティーン・ハンドレッドの生き様や言葉を見てると、思わずにこっとしてしまったり、ぐっときたり……それが、この映画のいいところだと思います。
 激動の物語というわけでもなく、かといって何も起きない物語でもなく、まるでさざなみのように、幾度も寄せては返す小さな物語のアンソロジー。それが「海の上のピアニスト」の良いところであり、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の真骨頂なのだと思います。

 久々にじっくり見ることのできる映画で、なんだかほうっとしてしまいました。
 やはり、いい作品を読んだり、見たりすると癒されますね。

「いい物語があって、それを語る人がいるかぎり、人生、捨てたもんじゃない」
 劇中でのナインティーン・ハンドレッドの言葉なのですが、それを実感することのできた作品でした。

初出 4/29 日記

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